胆大小心録 その26 | むかしのはなし

胆大小心録 その26

二十六

色々と代が替わって
(懐徳堂に)五井(蘭洲)先生と呼ぶのが相応しい儒者がいて、
今の竹山(中井竹山)、履軒(竹山の弟の中井履軒)は、
太夫の下につく禿のようなものだ。

(蘭洲は)契沖に従って国学も修めた。
続落久保物語という物を書き、失敗した。

竹山は山こかし(投機家)と人が言う。
投機をする才能はなかったが、その空気を持った人だった。

履軒は兄と違って、大人物のようにしゃべるが、これもまやかしだ。
老(秋成)が幽霊話をしたら、後になって
「そなたは文盲な奴だ。幽霊の狐憑きなどという事は無いのだ。
狐憑きというのは実は癇症病みだ」
と、大いに辱められた。

書生達との集まりで、
「門を出ると、世間の事に疎いのが、学校(懐徳堂)の懐子だ」
と(秋成が)言ったのを、雪鵬というお調子者が
「(それを言われても)善太(竹山)は黙っていた」
と言ったのが大いに知れ渡り、履軒が立腹したという事だ。
その後も時々会うが、(悪評の元の秋成に対し)何も言って来ない。

白川侯(松平定信)より(竹山を召しに)迎えが来た際に、
ざんぎり頭になって断ったという事があった時に

たまたま(秋成が)訪問し、
「変わった頭だ」と言ったら、
かくかくしかじかの事でと説明された。
「髪を剃らずには断れないのか」
と言うと、返答しなかった。
その後は訪れなかった。
これで(竹山の)程度が知れた。
学校の衰え、この兄弟で徳が尽きたのかも知れない。

(懐徳堂が称した学問所をもじって)獄門所という悪口が前からあったが、
なるほど、大した弟子はできず、(その弟子達は)金遣いが荒く、
その結果破産して身体を壊し若死し、長生きしたとしても獄門に遭いそうな人もいる。


前回に引き続き懐徳堂の話です。
五井蘭洲は二代目学主の中井甃庵に招かれて助教を勤め、
甃庵の息子の竹山・履軒兄弟を育てたそうです。

蘭洲が書いたという続落久保物語はその名の通り落窪物語の続編です。
なぜ窪を久保としたのかは不明です。
それなりの理由があるのでしょうね。

禿というのは元々はおかっぱ頭の事で、
太夫や芸妓の下につく見習いを禿と呼ぶそうです。

竹山は後に四代目の学主になる人物で、
懐徳堂はこの竹山の代に隆盛を極めたそうです。
また、文中にあるように老中松平定信が大阪を訪れた際に召され、
4時間に及ぶ会見が行われたそうです。

ざんぎり頭というのは、侍の象徴である丁髷を切り落とした髪型で、
浪人がよくしていた髪型です。
仕官を好まない意思表示の現れでしょうね。
「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
という言葉が有名ですね。

仕官を断るのに
わざわざこういうパフォーマンスをするのが、癪に障るという事でしょう。
徒然草にも似たようなエピソードがありましたね。

履軒は前にも登場しましたが、相変わらずの言われようです。
ちなみにこの後にも同じような扱いで出てきます。

他に気になる言葉を説明しますと、
懐子(ふところ子)というのは親の懐で大切に育てられた子供、
要するに箱入り息子の事です。
さらに懐徳堂の「懐」にかけて、門人が世間知らずだと皮肉っているのでしょうね。

獄門とは晒し首の事で、特に重い刑罰の一つです。
実際に獄門になった門人はいないと思いますが、
なかなかひどい言い草ですね。