今日は快晴の新潟です晴れ




さてさて、今日は真面目な英語教育話です。



昨今の英語教育事情では、昔ながらの「英単語・英文法を暗記する」または「英会話のフレーズを習う」ことで終わらずに、「グローバル意識を高める」ということが重要なポイントとされています。これは実際に現地で英語を使った人々が痛烈に感じた必要性を元に、英語教育現場でも意識され始めたポイントです。まさに、経験者でないと見えにくい点です。


グローバル意識を高めるために、どんなことをしているかと中学の英語の教科書を見てみると、なるほど、登場人物たちが世界各国から来ていて、皆違うバックグラウンドがあったりするのですね。中国から来ている人がいたり、ニュージーランドから来ている生徒がいたり。


また、公立の学校では、英語が喋れる外国人の先生がALTとして訪問し、実際に英語を話しているところを見せたり、生徒たちと英語を使ったアクティビティーをしたりしています。私立などでは、英語を母国語とする先生も授業を行うところも多い様ですね。


なるほどなるほど。

で、これで充分なの?って聞かれたら、いいえ、全然充分じゃないと思います。


「グローバル教育」を目指すのなら、「こんな外国人が居ます」とか、「英単語・英文法」を習う前に生徒たちの心の中の「日本の集団意識」を取り払った行動もしてみる訓練をしないと、充分でないはずです。なぜなら、「自主性」と「柔軟性」が、グローバル社会で生き残る鍵となるのですが、そこは「従順性」と「規則性」を重んじる日本の教育とは対極なポイントではないかと思うのです。


NHKに「白熱教室」という番組があります。

「白熱教室」はなんぞや、というと・・・

アメリカの公共放送局WGBH がマイケル・サンデルの「政治哲学」講義を収録した Justice with Michael Sandel を製作。ハーバード大学の講義が初めて放送された。講義では例題や実例を提示しつつ、学生に難題を投げかけ議論を引き出し、自身の理論を展開する。(wikipediaより)


ということで、学生たちと議論する講義を収録した番組で、これをもとに日本版も制作されているのだけど、日本版はやっぱり面白くないわけです。なんでかっていうと「従順性」がじゃまをして「自主性」や「柔軟性」を発揮できる生徒が日本にそんなに居ないせいじゃないかと思います。あと、「間違ったことを言っちゃったらどうしよう」と恐れる感覚って、日本では幼稚園時代から、自分を取り巻く大人達から叩き込まれるので、もう大学生までその恐怖心を育て続けちゃったら、教授と公の場で議論するのはムリじゃないかな?


アメリカの大学で議論してても、言っちゃあなんだけど従順な「日本人」と「韓国人」(ごめんなさい)は、弱いです。自分も含めて。さて意見を言おうとなると、考えているうちに感情的になってきたり、相手に失礼のないように回りくどく言ってると全然伝わらなかったり、言いすぎない様にすると説明不足だったり、逆論を言われると動揺しちゃったり、ともう自分のコミュニケーション力の低さと心の小ささに凹む凹むあせる


個人的な経験から言うと、日本人は、まずは「自分たちの違い」や「違う意見」、「違うやり方」を認めて、「それでいいんだ」と誇りを持つところから始めないと、他国の人々との違いとか違う意見なんかにうまく対応できないんじゃないかな、と思います。


日本でグローバル意識を高めるためにやらなくちゃいけないことは、まずは日本語で「間違ったこと」とか「違うこと」を皆でなんでもかんでも「それもアリグッド!」として1度受け止め、それについて怯むことなく話し合える授業ができれば、それが一番良いグローバル化の第一歩ではないかな。


そもそも、「違い」や「間違い」を取り除くことは、大人にとって都合の良い子供集団を形成する鉄壁の策だったはずですが、それでも「違いを捨てきれない人間」や「間違う人間」は必ず何%かはいるものなので、それを排除しようとすると多大なストレスむかっが生じますね。大人は苛立ち、自信の無い苛立つ子供を育て続ければ、それが社会の不穏分子ともなりえるので、まさに誰得!?


じゃあ、違いを認めればいいんじゃないはてなマークそれを利用してみる!?っていうのが、アメリカの教育現場が向かっている方向ですね。イマージョン教育にしろ、ギフテッド教育にしろ、需要があるので凄い勢いでどんどん進化アップしています。その辺りも、今後追ってご紹介していきますね。



では、良い一日をお過ごしくださいてんとうむし