今日は快晴の新潟です。

 

 

こどもが進学したので、時間が少しできました。

仕事もサクサク進みます。

こどもも学校生活が楽しいようだし、良かった良かったと思っていると、昨日ストレスを抱えて息子が帰ってきました。

 

どうもクラスの女の子にちくちくお小言を言われて辟易している模様。

ああ、そうかそうか、幼稚園では先生が先回りしてくれていたので、彼は守られていたんだったわ。

 

それで、てきとーな私は、「じゃあ、『あのさ、いい加減うるさいよ』って言ったら?」と、超てきとーな指示を出す。それに対して息子は「え?『うるさい』って言ってもいいの?」と不安気。「言っていいよ。本当にうるさくて集中できなくて迷惑してるんだし。それが嫌だったら、『今日、耳、日曜日~(古)』って言って無視するとか。」って言われても、「ふーん?」と疑心暗鬼で不安げな息子。

 

ザ・一人っ子な彼は、カジュアルに文句を言うスキルが無いのは当たり前なんだが、「うるさい」くらいは他人に言えないと(家では言う)、アメリカ文化に戻す時に大変だな、とちょっと思う。

 

欧米文化では、大人でもたいていの場合、相手への不満をストレートに相手の顔に向かって言います。別に取り立てて失礼なことではないし、ケンカをしようってんでもありません。自分のテリトリーを他にはっきり示して、自分のテリトリー内のルールを相手に見せていかないと、自分のテリトリーを守れないからです。日本ではたいていの場合、皆お互いに気を使い合うので、必要ないですよね。

 

アメリカに渡ると、文句を相手に言うチャンスは思ったよりもすぐに訪れます。滞在したホテルでの応対、留学先の大学での事務手続き、電気光熱費処理の事務手続きなどなど、自分が知らない内に大変な手違いが起こっていることは多々あって、誰かが文句を言わないと、気づいていても直しません。なので、それを声を大にして間違いをひとつひとつ直させていかないと、雪だるま式に問題が悪化します。

 

「ホームステイ先=安全、親身になってくれる」という図式も、ほぼ幻想なので、「ちょっとおかしいぞ」と思うことが有れば、どんどん主張しなければいけません。相手の言うことをハイハイと全部聞いていると、ベビーシッターにされて試験勉強もままならなくなったり、冷凍ピザやコールドディナー(チーズとクラッカーなど)しか出ない家庭なのに皆の皿洗いをする人にさせられたり、ということになりかねません。たいてい日本人が払うステイ代は高額ですから、お礼は充分にできているはずです。しかし日本の親たるもの、他のご家庭のお世話になるとなったら「お手伝いを一生懸命やりなさいね」と言ってしまうものですが、食事代込の宿泊費が発生するホームステイに関しては受入先にとっては完全にビジネスですから、そういった気遣いが逆にあだとなることもありますので、お気を付けください。むしろ「ステイ先を信用するな。自分の身は自分で守れ」ぐらいの方がいいかも。まぁ、ホテル宿泊とおんなじです。

 

「英語が話せれば世界中どこに行っても安心だね」なんてのほほんと思いがちですが、言語と文化が違えば、感情の表現の仕方も、表現すべき個性のレベルも、人への気持ちの伝え方も、本当に違います。人に好まれることも、評価基準も違います。大学生・社会人でさえ、日米間を行ったり来たりすることで、英語世界で示す量と日本語世界で隠す量で葛藤し、悩み苦しむ時期は必ずあります。グローバル化した未来で子供達を待ち受けるのは、そういうソフト的な問題も多々あるでしょう。

 

それで、そんな葛藤の中で何が自分を助けられるかというと、やはり自己肯定感ではないかと思います。「誰が何と言おうと、これが自分」と受け入れられること。最終的に、「あっちの世界ではこう言ってる。こっちの世界ではああいってる。両方正しい。じゃあ、自分はどうするか?」という問いに、自分軸をある程度持っていれば、答えが出せるはず。あんまり社会に従順すぎると軸がブレるので、女子は順応力や言語力が高いんだけど、ストレスも抱えやすいですよね。ちょっとヤンチャな人の方が海外生活を楽に感じる傾向はあります。

 

子育てしながら、そうそう「自分軸!」と思うんだけど、もうそれは子供の経験ありきで、親がいろいろ模索してもしょうがないんですよね。いろんなお友達といっぱいケンカして、いっぱい仲直りしてくれればいいと思います。それには、もうちょっと精神的に強くなってくれるといいんだけどね。

 

では、良い一日をお過ごしくださいとかげ