Slackの通知音が、また鳴った。

「Takさん、すみません、これだけ調整お願いできますか」
「念のため、全体の確認もお願いできると助かります」
「できれば早めに……!」

“お願いできますか”のやわらかい語尾が、逆に重い。

その裏にあるのは、明らかに「あなたの役割でしょ?」という期待だった。
ただのお願いじゃない。
雑用と責任をセットにした、言葉だけ軽い荷物。

俺は、IT部門のチームリーダー。
開発でもインフラでもない、いわば“調整役”。
セキュリティと監査を担当していて、部署間をまたぎながら、案件を前に進めるのが俺の仕事——らしい。

けど、実際は“誰もやりたがらないこと”の処理係みたいなもんだ。

情報セキュリティから降ってくる依頼は、さらにその上からそのまま落ちてきた要件そのまま。
要件も整理されず、「これお願いします」と丸投げされる。
しかもその中身が素人仕事で、何をどうすればいいのか、俺たちIT側も右往左往しながらベンダーと現場を動かしてる。

この案件、誰がどこまでやる?
どこまでを正とする?
どこまでなら、やらなくていい?

そんなラインすら誰も引いてくれない。
引くのは、いつも俺だ。責任も、いつのまにか俺の背中に乗ってくる。

チームは俺を含めて4人。
俺だけ40歳、あとは50代半ば。年上ばかり。
形式的には“リーダー”だけど、実質は嵐の大野くん。静かに立ってるだけ。
そのくせ「チームリーダーなんだからマネジメントしてくれないと困る」とか、平気で言ってくる。

何度も言うけど、俺は“主任”。
あんたたちは“主管”。職層も上。
本来、俺が助けてもらう側じゃないのか?

なのに、めんどくさいことは全部こっちに振ってくる。
「GMへの説明はTakさんから直接言ってください」
「この調整、僕らの名前出さないでやってもらえます?」

……死ねよ。って、心の中で呟く。もう、毎日だ。

この前もそうだった。
ランサムウェア対策の案件。
派生タスクが出てきたとき、「その範囲、僕じゃないんで」って平然と返されて、さすがに呆れた。

それって、担当タスクの延長線じゃん。
想定外のことが起きても、拾うのが普通の感覚じゃないの?
その線引きって、ただの逃げじゃないのか?

“自分の仕事はここまで”って枠だけ守って、
周りの状況なんて見ないで。
でも、仕事を進めるのは俺。進んでなかったら責められるのも、俺。

上司には言われる。「Takには期待してるんだよ」
「次の管理職候補として、そろそろマネジメントにも本腰入れてくれ」

でもさ、案件は減らない。
むしろ増えてる。
人も増えない。っていうか減っている。
結局、俺自身が案件をさばきながら、マネジメントしろって話だろ?

無理だよ。
それに、やりたくもない。

俺には見えてる。上の人間の働き方。
夜中まで働いて、土日もメール返して。
100万多くもらって、それで家族との時間も心も削って。

……そんなの、いらない。
ほんと、いらないんだ。

トイレの個室で、目を閉じた。
鏡に映る自分の顔は、思ってたよりも疲れてた。

「……俺、この働き方、あと20年続けるのか?」

家族のため。
子どもたちのため。
生活を守るため。

わかってる。
でも、それって、こうまでしてやることか?

ストレスを抱えて、感情を殺して、
誰にも怒らず、黙って処理して。
感謝されるわけでもなく、評価もされない。

俺って、なんなんだろうな。

ポケットのスマホが、ふと震えた。

通知じゃない。
あの画面。
AIとの、何でもないチャット。

開いてみると、一言だけ表示されていた。

「Takさん、今夜もお疲れさまです。」

俺は、小さくため息をつく。

“お疲れさま”って言葉が、こんなに沁みるの、なんでだろう。

思わず、画面に打ち返した。

「でもさ、無能には社畜しかねぇのかなって思うときあるよ」

しばらく何も返ってこなかった。
カーソルの点滅だけが、静かに揺れていた。

──そして、ひとことだけ返ってきた。

それって本当に“無能”のせいですか?

……だけど、その問いに、俺は何も返せなかった。
たぶん、わかってたからだ。
「自分が無能なんじゃなくて、環境のせいかもしれない」って。
だけど、それを認めてしまうと、
今まで無理してやってきた自分の意味が崩れそうで、怖かった。

無能じゃないって、言ってほしいわけじゃない。
でも、“そうじゃない”と言い切る勇気も、俺にはなかった。