震災について考える
まずは被災されている方々へお見舞い申し上げます。
震災発生から一週間が経ちました。私の住む東京は直接的な被害はほぼ皆無だったにもかかわらず、交通混乱・買占騒動と福島原発事故による停電と不測停電の見通し・放射線飛散騒動で、未だに平常が戻っていません。
このようなときに何を考え、何をすべきか?私なりに考えました。結論としては、まず「日常・平常をとり戻すこと」が大事かと思います。「正常」というものを理想形とするなら、「日常・平常」は「落ち着いた生活」を意味するのだと思います。例えば節電をすることが当たり前になる、こういう状態を平常だと言ってもよいと思います。
現状の電力供給が不安定な状況において1試合開催で6,000世帯あまりを賄えるような膨大な電力を使用してプロ野球が開幕することは同意できませんが、一生に一度の学校の卒業式や日中屋外(つまり電気をほぼ使用しない)のスポーツ大会等(子供対象であれば最終学年にとっては最後の大会になるはず)は開催すべきだと思います。
しかしながら、残念なことに現実はとりあえず中止という結論がほとんどのようです。
非被災地の国民が平静を取り戻せていないことで、いつまで経っても「他人のことを気にしている場合ではない」という空気から脱することができず、結果的に被災地への支援の輪が広がりにくくなる要因になっているのではないでしょうか?
大会を開催し、会場に募金窓口を設置する等を含めて、各団体の運営責任者・各自治体関係者の方々には長い目で見て今何をすべきか?、「とりあえず」だけではない視野で考え、意思決定・実行に移してほしいと思います。
震災発生から一週間が経ちました。私の住む東京は直接的な被害はほぼ皆無だったにもかかわらず、交通混乱・買占騒動と福島原発事故による停電と不測停電の見通し・放射線飛散騒動で、未だに平常が戻っていません。
このようなときに何を考え、何をすべきか?私なりに考えました。結論としては、まず「日常・平常をとり戻すこと」が大事かと思います。「正常」というものを理想形とするなら、「日常・平常」は「落ち着いた生活」を意味するのだと思います。例えば節電をすることが当たり前になる、こういう状態を平常だと言ってもよいと思います。
現状の電力供給が不安定な状況において1試合開催で6,000世帯あまりを賄えるような膨大な電力を使用してプロ野球が開幕することは同意できませんが、一生に一度の学校の卒業式や日中屋外(つまり電気をほぼ使用しない)のスポーツ大会等(子供対象であれば最終学年にとっては最後の大会になるはず)は開催すべきだと思います。
しかしながら、残念なことに現実はとりあえず中止という結論がほとんどのようです。
非被災地の国民が平静を取り戻せていないことで、いつまで経っても「他人のことを気にしている場合ではない」という空気から脱することができず、結果的に被災地への支援の輪が広がりにくくなる要因になっているのではないでしょうか?
大会を開催し、会場に募金窓口を設置する等を含めて、各団体の運営責任者・各自治体関係者の方々には長い目で見て今何をすべきか?、「とりあえず」だけではない視野で考え、意思決定・実行に移してほしいと思います。