こんばんは、武田マックでございます。
昨日は乱文失礼いたしました。
強い感じで書いてしまったのは非常に申し訳ない部分もあるんですが、
何せ、野球命なもので、
自分なりに多少はブレーキをかけていたのですが、
キツイ印象を受けてしまった方がいれば、
それについては申し訳ない。
ただ、公で見れるところでそういうのを残すのもどやねんと思う人も居るだろうけれども、
多分、野球好きな人からしたら、
共感できる部分もあったと思うんでね、
僕は、大概のことは気にしないんですけども、
小さい頃から見てきたものが否定されたようで、ちょっと悲しい気持ちになったのでした。
さてさて、今日の話題ですが、
まあねえ、改めて書くのもどうかなと思うんですけども、
やっぱりね、ずっと神戸で過ごしてきてる人間からしてね、
今日という日は避けて通れないわけです。
うん、
あれから30年、
長いようで短い、
小5が来月で41になるわけですけども。
振り返るとね、
たしか3連休の休み明けだったんですよね、1月17日って。
当時成人の日が1月15日(日)で、
16日が振替で休みで、
連休明けに学校行きたくねえなあ、
なんて思いながら寝て。
起きたらとんでもないことになったと。
ただ、私、震動では起きなかったんですよね(笑)
上の棚に置いてあった粗品の紙の箱に入った段ボールの箱がお腹の上に落ちてきて、
えっ、何?
ってなってたら、
顔の真横に仏壇が落ちてきて、
両足の間にテレビが落ちてきて、
見事に無傷だったんですけどね。
家は一部損傷と半壊の間くらいで、潰れはしなかったですけど、床は盛り上がってて、皿は割れまくってて、
強盗とかでもこんなにひどくないよね?
これは何?
って思ってたら、
外出たら家が潰れまくってて、
ちょっと前に見た大空襲の写真に似てるくらい家がほとんど潰れてたり、電柱が折れたり、どっかで火災が起きてたり、
そこで地震があったみたいだと初めて知らされました。
それからも横にギッコンギッコンと家が揺れる音はたまにあり、
ろうそくの火を使って網でお餅を焼いてみたり、
ラジオでは亡くなった人の名前を読み上げる時間とかあって気味が悪かったし、
どうなるんだろうという不安はありましたね。
そこから2週間ほど、三重県の親戚のお家にお世話になるんですけど、
神戸では電気とかなかったんで、
テレビの映像とか見てなかったので、
そこで初めて現実を知るというか、
こんなえらいことになってるんだと。
そんなに広範囲だと知らなかったので、
自分たちの近くだけそうなっていたのだと思っていたので。
長田の商店街の火事とかね。
まあ、高速道路が倒れてる横を走って甲子園まで行ってるはずなのに、
あれ、なんかでっかい壁できてるなぁと、
高速道路が倒れた姿と気づいてない部分もありましたが。
でもね、僕はすごく得られるものもあったんですよ。
助け合いとか、声の掛け合いとか、近所の人と仲良くなったし。
小学校が再開して、
3月に文集を作ることになって、
テーマを決めることになったんですけど、
テーマを、
震災のことにするか、そうでないことにするか、
それを決める時間がありました。
実際、自分たちの学年で一人亡くなっています。
僕も家が割と近かったので仲良くしてたので、
ショックではありました。
そういうのを思い出したくないからという気持ちはわかります。
でも、僕は、今のこの震災と向き合いながら生きていることを、
素直に気持ちを残した方が良いと思って、
震災をテーマにする側で議論に参加しました。
僕、みんなの前で発表とかするタイプじゃないんです。
でも、思いが強かったのか、みんな結構聞いてくれて、
結果的に震災をテーマにしないことに決まったんですけど、
結構その話し合いの後に、同じクラスの男子から、
「たけちゃん、あれよかったで」
と言ってもらえたのは、救いでした。
何かを発していくことは大事なんだと思いました。
だから、もっと辛い思いとか、
苦労を重ねた人は多いと思います。
でも、それぞれの中にそれは残っているわけで、
そういう角度のこの振り返りも、
僕は必要だと思いますね。
この震災から8年後に入った大学で、
助けてもらった側から国際協力をしていく側になるとは、
このときは当然知らなかったわけですから。