おうちのイメージをもつこと。

 

どんな空間で朝を迎え、朝ご飯をたべ、

 

帰宅したらどんな場所で安らぎ、

 

一番おうちでする大事なことは何か、それをするための場所はどんな雰囲気か、

 

そのとき自分はどんな気分でどんな格好をしているか、などなど。

 

 

私は、去年まで、自分は“何が”スキなのか、どんな”雰囲気”が心地よいのか、まったく分かっていなかった。

 

というのは

 

好きなテイストが多すぎて、しかもバラバラだったから。

 

「私はボタニカルな感じが好きだ」とか

「私はエレガントな感じが好きだ」とか

「とにかくアメリカンポップなのだ」とか

 

はっきりとしたスキが1つにまとまっている人がうらやましくて仕方なかった。

 

自分はどれもスキ。でもどれが一番スキかと聞かれると、返答できない。

 

これには訳があることが今は分かる。

 

「捨てる」ことができないからだった。

 

何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。つまり何かを諦めるということ。

 

それが分からなかった。というか分かりたくなかった。頭の中では、スキを選ぶということは「諦めること」とつながっているから、もう二度と会えない、寂しい別れのような気がしていた。

 

だから手放せなかったんだと思う。

 

そんな風に思っているという自覚もなかったけれど、いま振り返るとそう思う。

 

しかし、とうとう、私のスキを選ぶときがきたのだった。

 

もっと厳密にいうと、選ぶというよりも、ただ「スキだと自覚した」だけだった。

 

それでほかのものがどうでもよくなった。つまり、捨てられたのだった。

 

それが「アーティストという生き方」であり、自分が思うアーティストが住むおうちはこんな感じというイメージを見せてくれたのが、web上で偶然みかけた、稲垣えみ子さんの自宅の写真だった。

 

 

モノを捨てながら、選び取りながら、自分自身を知っていくことができる。

もう一方で、自分自身の核みたいなものが、どすーんとわかったときに、モノを捨てていく覚悟ができる。

 

私は、うっすらとでも自分の核がみえはじめたときに、モノを選び取り、捨て始めることができるような気がしている。

 

私は稲垣えみ子さんが、モノを捨て始めてからコンマリの本を手に取ったと著書に書いてあったので、

 

私も読まねばと思った。

 

コンマリの本を読んだら、順序や方法が細かく書いてあり、そのとおりにすることが最大の効果を生むとあった。

 

最大の効果を得るために、その順序と方法に従った。それはそれは大仕事だった。心と頭との葛藤。決断。決断ってなんてエネルギーを使うのだろう。しかし決断することに慣れてくると、それはそんなに苦ではなくなった。そして決断っていうのは、後悔も込みで行うものなんだなあ、なんていう心持ちも体験し、なんだかおおらかな気持ちになれた。

 

前置きが長すぎてすみません。

 

次回のブログから具体的に書いていきます!!