以下、ネタバレあり。
オペラ座の怪人(以下、怪人)の10年後の話。怪人ファンにとっては、知らなかったほうが幸せだった後日譚。
怪人の魅力の本質は、醜い者が美しさに憧れ、なおかつその憧れが報われないという二重の哀しさにある。怪人の終幕で、クリスティーヌはラウルの命を助けるため、マスクを外したファントムに口づけし、自らの身を捨てる選択をする。クリスティーヌのラウルに対する無償の愛を思い知らされたファントムは、2人を逃がして姿を消す。あとに残したマスクは、二度と皆の前に現れないというファントムの決断の象徴だったはずだ。
ところが、本作では、ファントムがクリスティーヌをおびき出して恥ずかしげもなく姿を現す。それどころか、かつて「月のない夜」にクリスティーヌがファントムを受け入れたことが明かされ、そのクリスティーヌは今でもファントムに思いを残している様子だ。これでは怪人の世界観の全否定ではないか。A・L・ウェバーはどういうつもりで本作を作ったのか。
物語としての出来も悪い。それを言うと、怪人も陳腐なところがあるが、怪人より格段に悪い。四角関係、夫以外の男との間にできた子、妻との関係に悩んで酒に溺れる夫…。まるで昼ドラとしか思えない。結末のメグの言動も唐突過ぎて驚く。最後の曲を聞いて本作のタイトルをようやく思い出したが、理不尽さが強い苦味として残る。
音楽も弱い。心を揺さぶる美しさは、断片的に感じられはしても、怪人と比べると圧倒的に不足している。ところどころに挿入された怪人のメロディーが、なんとも突出して響く。
それでも、あのファントム、クリスティーヌ、ラウル、メグ、マダム・ジリーに時を隔てて会えたのは、旧来の知人に再開したときのように感慨深い。たとえ姿が変わり、状況が変わったとしても。
体調が懸念された鹿賀さんは、声量こそやや不足していたように思えたが、破綻なく役をこなしていた。平原さん、笹本さん、香寿さんはそれぞれに達者ぶりを見せつけた。特に笹本さんが歌、芝居とも生き生きしていて、最も引きつけられた。田代さんは存在感を出しきれていない感じがしたが、役柄からして仕方なかろう。
いろいろ酷評したが、今度は市村ファントムの日にもう一度見直そうか、と迷っている。
オペラ座の怪人(以下、怪人)の10年後の話。怪人ファンにとっては、知らなかったほうが幸せだった後日譚。
怪人の魅力の本質は、醜い者が美しさに憧れ、なおかつその憧れが報われないという二重の哀しさにある。怪人の終幕で、クリスティーヌはラウルの命を助けるため、マスクを外したファントムに口づけし、自らの身を捨てる選択をする。クリスティーヌのラウルに対する無償の愛を思い知らされたファントムは、2人を逃がして姿を消す。あとに残したマスクは、二度と皆の前に現れないというファントムの決断の象徴だったはずだ。
ところが、本作では、ファントムがクリスティーヌをおびき出して恥ずかしげもなく姿を現す。それどころか、かつて「月のない夜」にクリスティーヌがファントムを受け入れたことが明かされ、そのクリスティーヌは今でもファントムに思いを残している様子だ。これでは怪人の世界観の全否定ではないか。A・L・ウェバーはどういうつもりで本作を作ったのか。
物語としての出来も悪い。それを言うと、怪人も陳腐なところがあるが、怪人より格段に悪い。四角関係、夫以外の男との間にできた子、妻との関係に悩んで酒に溺れる夫…。まるで昼ドラとしか思えない。結末のメグの言動も唐突過ぎて驚く。最後の曲を聞いて本作のタイトルをようやく思い出したが、理不尽さが強い苦味として残る。
音楽も弱い。心を揺さぶる美しさは、断片的に感じられはしても、怪人と比べると圧倒的に不足している。ところどころに挿入された怪人のメロディーが、なんとも突出して響く。
それでも、あのファントム、クリスティーヌ、ラウル、メグ、マダム・ジリーに時を隔てて会えたのは、旧来の知人に再開したときのように感慨深い。たとえ姿が変わり、状況が変わったとしても。
体調が懸念された鹿賀さんは、声量こそやや不足していたように思えたが、破綻なく役をこなしていた。平原さん、笹本さん、香寿さんはそれぞれに達者ぶりを見せつけた。特に笹本さんが歌、芝居とも生き生きしていて、最も引きつけられた。田代さんは存在感を出しきれていない感じがしたが、役柄からして仕方なかろう。
いろいろ酷評したが、今度は市村ファントムの日にもう一度見直そうか、と迷っている。