※本文がとても長いので時間があるときにでも…✨
 また後書きがいつも通り長くなってしまったのでスルーして
 貰っても構いません。よろしくお願いいたします🙇‍♂️


前話⇩⇩⇩




由依side



私と理佐は物心ついた時からずっと一緒だった。遊ぶにも、喧嘩するにも、お風呂に入るにも、ご飯を食べるにも全部全部、真似っこして、されての関係。

そんな私たちにも分岐点があった。いつだったかな。高校3年生の…秋、もしかしたら冬だったかも。お互い、高校卒業後の進路を考える年になり「欅坂大学とかどう〜?」なんて言って、欅並木の道を理佐と歩いていた時に急に言われたんだ。


『私、大学には行かない』
『ぇ…?』


小、中、高ときて、もちもん大学も一緒にするつもりだった私は思わずそう言葉が溢れた。

いつもの少し掠れた声とはちょっと違うけど、何が違うか形容できない…。そんな私の知らない理佐を前にして、私は何も言えなかった。

だって無理だった。ここまで一緒にいた理佐と離れるなんて…、嫌とか寂しいとかそういうんじゃなくて。自分が今、何という感情を持っているのか自分でも分からなかった。だから、形容のしようがなかった。

頭で理解する前に、身体が虚無感に襲われて、どうしようもなくてただ徒に時がすぎて行った。最後に理佐から貰った言葉は「由依は由依のしたいことを大切にしな」だった。酷く悩んだ顔色で、無理に笑っているのが八の字になっている眉毛から痛いほど伝わってきたのを、もう何年も前なのに覚えている。

気づいたら理佐の家の標識には「理佐」という2文字が消えていて、そのまま私も成り行きに流されて大学に入っていた。

自分で望んでいたキャンパスライフのはずなのに、何か物足りない。その物足りなさを埋めるようにサークルに入ったり、カラオケに行ったり、友達とパーっと遊んだりしてみたけどやっぱり残るのは“ 違和感 ”だけで…。

そんな時、お財布の中からスッと落ちた紙。小さい頃、理佐から貰ったお手紙だった。

「ゆいすき りさ」

全てがひらがなで、ところどころ逆向きの文字だってあるのにあり得ないほど涙が溢れた。

_____私、理佐が好きだったんだ。
   理佐が私を好きな以上に、どうしようもなく…

あの時の私は馬鹿だった。どうしてこんなにも大切な人を引き止めなかったのか、いつもなら理佐の真似っこで意見を合わせることが多い私なのにどうしてあの時に限って自分を優先してしまったのか。

…逢いたい。寂しい、悲しい、抱きしめてほしい、手を繋いでほしい、

_____理佐。



_____小さい時から方向音痴が酷かった私はよく迷子になっていた。街中でもショッピングモールでも本当によくいなくなるもんだから、近所では「迷子の子」で有名だったっけ…。そんな時、しゃがんで肩を震わせる私を見つけてくれるのは決まって理佐だった。「由依〜?由依〜?………あ、いた」なんてわざとらしくする理佐をみると、私の頬を伝うものはいつも笑顔に早変わりしていた。

逆にそんな理佐が迷子になった時は、私は家でお母さんと待つしかなくて、結局捜索に行ったお爺ちゃんが理佐を連れて帰ってきていた。「由依も行く!」と言っても方向音痴の私が連れて行ってもらえるわけもなく軽くあしらわれてしまう。子供ながら酷く傷ついたちょっぴり苦い思い出。


_____理佐は私を見つける能力があるけど、
   私には理佐を見つけ出す能力が、ない。


ねぇ理佐。私をもう一回見つけて…。

あの時、引き留められなくて、何も言えなくて、ごめんなさい。私が馬鹿だった。理佐と離れ離れなんてそんなの無理に決まってるのに、そんな当たり前のことにも気づかないくらい鈍感でごめんなさい…。

心の中で何度も何度も思いを巡らせた。でも、どれだけ私の空虚な心の中に謝罪の言葉を募らせても謝り足りなくて、許されないことをしてしまった現実が私にはつらくて…。小さい頃に貰った、あの不格好で読むにも読めないような手紙を何度も見返しては「いつかまた…」を期待して。




_________________________________________________________________




そんな時に突如私たちの生活が一変したのは、世界中で感染力の高いウイルスが蔓延したときだった。エボラのような、インフルエンザのような、得体の知れないウイルスに医療従事者が格闘する中、感染者と共に増えていたものがある。

鬱病。

人に会えないストレスや、やりたいことができないストレス、先の見えない未来への不安に環境についていけない身体。世の中は混乱状態だった。

…だけどそんな時まで私を守っていたのは理佐だった。あの小さな紙や、小さい時の思い出を毎日辿っては「またいつか」を期待して今日にさよならを告げ、初めましての明日と手を繋ぐ。

昨日と変わらないような毎日だったけど、でも私には明日を迎えることが怖くなんて無かった。全部全部、理佐のおかげ。


そこで私はふと思った。私には理佐がいたから大丈夫だけど、世の中の人々は一体どうなのだろうと。離れてから痛いほどわかった理佐の存在のありがたみを知っている私だからこそ、できることがあるんじゃないかって。



だから事業を立ち上げた。

人間は孤独を嫌う。孤独死なんて、本当に笑い話にできないほど。でも誰か一緒にいてくれる人がいたなら、何か変わるんじゃないかと、一緒に生活をしてくれる人を派遣することにしてみた。

最初は本当に地味な作業の連続で大変なことばかり。機械音痴の私がパソコンを扱うなんて100年早かった、と何回思ったことだろう。メンタルもなかなかにズタボロにされることがよくあったし、何度もやめようかなと思った。

だけどこの事業は、半分は自分のためであって、私が理佐に会う機会になるんじゃないかと期待してる節もあったせいでやめるにやめれなくて。

そんな努力が実ってここ最近は、会社側の方から声をかけてもらうことが多くなった。社員も増えて、会社としても良い風が吹いている。だから私の希望も比例して膨れ上がるばかりで、期待して資料をめくっては、目当ての名前がなく、落胆してうちの社員を派遣する日々。

その中で一件だけ、私の期待に応える会社があった。手元にある資料を3枚程度めくったあたりで目に入る「渡邉理佐」の文字。ロボットが前もって色々なものを解析した結果、「うつ病の可能性」と書かれている。

ガッツポーズなんてらしくない。でもそれだけ嬉しくて堪らなかった。「社長直々にお仕事なんて珍しいですね」なんて社員に言われても、鏡の前で自分の緩んだ顔を見ても全く熱が冷めないほど。


でも、できるなら元気な姿のまま会いたかったな。理佐。





to be continued…




お読みいただきありがとうございました!

長くなってしまったのと、回想シーンが多めで読みにくかったりしたらすみません🙇‍♂️次回からはお話が進んでいくと思いますので、気長に待っていてください😌🌱

そして最近は1ヶ月以上小説が出せていなくてすみませんでした。今回から少しづつあげていきますので楽しみに待ってていただけるとありがたいです。予定としては週に一回ぐらいのペースに戻したいなと考えています✨

また小説をあげていなかった期間にあった、お正月、節分、バレンタインなどの季節ものの「宝物」シリーズも急ぎで書きますので安心していただければと思います。今後ともども、宝物シリーズをよろしくお願いいたします🙇‍♂️

そしてフォロワー様が顔を出さないうちに1130名様を突破いたしました〜!🎉皆様のお力添えあっての活動です。いつも書き手が供給する以上に、親切を返してくださる方々がいっぱいで本当に嬉しいばかりです😊いつもありがとうございます。


改めまして皆様、ただいま〜☺️
これからもK46と小説たちをよろしくお願いします🙇‍♂️
おっす。