私は小児白血病患者だ。簡単に言うと血液のガンで小児で最も多い癌である。私は15才の時に発病し、2度の移植、2度の再発をしており現在は3度目の闘病をしている。もちろん簡単な状況ではない。退院していた時期などを含めると今年で6年目になり、今は20才。栄養士の専門学校に通っていたが半年通って体調が悪くなってしまいやめてしまった。本来なら今年新社会人になる予定だった。この話だけを聞くとなんて不幸な子、可愛そうな子と大抵の人が心配という同情の目を向ける。だが、決めつけないでほしい。私の幸せは私にしかわからないもので、事実私は今幸せだ。助けてくれる人がいて、真剣に話を聞いてくれる主治医も看護師さんもいて、私のことを本当に想ってくれる人が沢山いる。病気にならなかったら気がつかなかったことのひとつだ。家で家族や彼氏と食事をする。お風呂に入る。家の布団で寝る。そんな当たり前のことだけで心に染みるような幸せを感じる。それは凄く得をしていると私は思う。普通に暮らしている人がしている幸せなことを私がしたら他の人の何倍、何十倍も幸せを感じることができるということだから。
3度目の闘病、身体の臓器が弱っていたり薬が効かなくなってきていたり状況はかなりよくない。いつなにがあってもおかしくないと3度目の入院の最初に主治医からすでに言われていた。そう言われてからはや一年。私の身体は頑張っている。考えることはしっかり考えて、泣くときもしっかり泣いている。でも、うじうじしてても仕方がないし病気が治る訳でもない。だったら前を向いて楽しんだ者勝ちなのだ。今できる状況で最高に楽しむ方法を考える。病は気から。笑う門には福来る。まさにその通りだと思う。それを実行してきて私は一年、辛いこともあったが幸せにすごした。決して不幸ではない。
それでも、病気は徐々に進行していくもので足が痺れ、糖尿病、腎臓機能の低下、左顔面の麻痺、目が見えなくなりかけたこともあった。様々な二次的な症状がじわじわ出てきていて、今幸せなだけではダメだなと思いはじめ母に私になにかあったときにどうしてほしいか徐々に伝えるようにしていった。はじめ母は嫌な顔をした。そんなこと考えないようにしようよと。だけど、自分になにかあった時に自分が後悔するのも、家族がもっとこうしてあげればよかったと後悔するのも嫌だったから時々、話をした。そして最近、主治医からの話の時間があった。やはりいい話ではなく、いつなにが起こるかわからないという内容だった。日頃も母と病気についてはよく話す。ただ、その話の時は違った。いつものように私になにかあったときの話をした。いつもより深い話をしていたら母が家族が全員後悔しないように口頭ではなくノートにまとめようと提案してきた。もともと私は一人でなにかあったときのことをノートにまとめていた。あまりいい顔をしない母には内緒で。だけど、それを母親から提案してきてくれた。すごく嬉しかった。二人で話しているうちにノートの裏には自分になにかあったとき、してほしいことや伝えてほしい人などの内容を書き、表からはやりたいことや、食べたいもの、旅行したい場所などを書いた。それで叶えたことは消していこうという話になった。私がやりたいこと、母と妹が私とやりたいことやしてほしいことを沢山書いて少しずつ叶えて消していっている。明日なにがあるかだれにもわからないから下を向いてても仕方ない。だけど、しっかりと辛いと思う話もしないとみんなが後悔する。楽しいことと辛いこと、どちらも逃げずに話をするということは大切なことだ。そしてそれは私だけに当てはまることではないと思う。
私は病にかかって死を身近に感じることがすごく多い。だけど日常生活している人はやはりどこか死は他人事で自分が突然死んでしまうのはありえないと思っている。私のように病気をしている人は後悔しないように逃げずに家族とよく話し合うべきだと思うし、これは病気をしていないひとも同じだ。明日なにが起こるかなんて誰にもわからない。赤ちゃんからお年寄りまでみんななにが起こるかわからないのだ。突然事故に合うかもしれないし、震災が起きるかもしれない。大切な人に自分の意思を伝えることは悲しいことではなく大切な人と自分自身が後悔しない為の方法だと思う。先程も言ったが私たち家族はノートに誰でもやりたいこと書きこめるようにしてある。このノートを未来ノートと呼んでいる。確かに辛いこともあるし、泣くこともある。でも、このノートがあるおかげで私も家族も次はノートに書かれているどれを叶えようかと楽しく過ごせている。我が家は私が病気でも未来を見ている。私が病気でも笑えている。辛いことがないかと言ったら嘘になるが、そうやって笑っていることが私の生きる力になっている。未来の楽しい話、悲しい話を大切な人と真剣に話をする大切さを私自身の話を通じて多くの人に伝えられればと思う。



長々とした文を読んでいただきありがとうございました(*^▽^*)

これが「ひととき」の原文です。

人それぞれ感じかたは違うと思いますが、なにか感じてもらえればと思います。