Brasil sick | Ready Steady Go!

Ready Steady Go!

Season Concept
   ~ London Eye ~

大疲れのせいか22時と意外と早めに眠りにつけたが、愉しんだ分だけブラジル酔い?は強烈で、午前2時には目が覚めてしまう。

一度目が覚めるとここからが不眠症のごとく、夜明けまでまったく眠れなくなる。

翌日は、不在だった間の手付かずのままのデスクワークをはじめとする仕事の山が待ち受けていて、少しでも眠りたいわけだが、気持ちとは裏腹にまったく目が冴えてしまう。

こんな生活をかれこれ20数年続けているが、一向に慣れる気配はなく、最近はますます症状が重症のようだ。

これもひとつの職業病なのかもしれないが、エアラインのクルーの人たちは一体どのように解消しているのか知りたくなる。

そして、必ず外が白々と明けて来始めた5時過ぎ頃からふたたび眠りにつけるが、数時間後に目覚めた気分はいつも最悪でからだのダルさは半端ではない。

からだに鞭を打って会社に出かけるが、こんな症状もひとに言わせれば職業病ではなく、贅沢病なのかもしれない。と、、、、、、、

海外滞在中は毎夜外出することが多いが、帰国後ひと晩眠った翌日からは、まるで優等生のごとく単調な自宅と会社との往復の東京生活に戻ってしまう。

旅の疲れも理由にあうだろうが、最近は特に出かけてもワクワク感もなく、海外とのやり取りで深夜まで仕事をしている事も多くなり、足に根が生えてしまったかと錯覚するくらい出不精になっている。

帰国後1週間も過ぎれば、当然のごとく容量を遥かに超えるフラストレーションがどこからともなく襲って来て、気分転換が必要となり、毎回身近なところにある癒しの場所に出かける。

芝増上寺の僧侶の人たちが、本堂で夕方5時から読経を唱え、真っ正面にある阿弥陀如来坐像を見つめながら、体を清めるための香の匂いと木魚の音を聞いている環境も、自分にとってお気に入りの場所のひとつである。

今月のことばに、こう書いてあった。

いただける有難さ

世界的恐慌が続いている。百年振りの不況といわれているこの情勢はある面では冷えきった経済戦争といえよう。深刻なこの戦いに智恵の勝利を掲げる革命者は誰なのか、人々はその人が出現するのを待ち望んでいる。

仕事を失って悲しんでいる人々はより仕事があることの有難さを感じ、経済の安定と生命の尊さをひしひしと感じたにちがいない。頂いた仕事、戴いたいのちに対してこんなに大切なことだと感じたことはなかったように思う。人さまから頂戴したものに対して心の底から嬉しいことだと感謝できるようになりたい。

日本では近年高度成長に伴い、物に対して贅沢な扱いをしてきた嫌いがあった。物がたくさんあった時には次から次へと高価な物を取っ替え引っ替え買い求め、まだまだ使用に耐え得る物でもゴミ捨て場にいっぱい捨ててあった。あの頃は確かに流通盛んな産業文化時代であったが、国民全体に奢りや高ぶりの心があって物に対する有難さや大切さを忘れていたような気がする。

今、不況の時代になって思うことは、日本経済いや世界経済を担って働いて下さった人々のおかげによって生かされてきたことをつくづく思うようになった。

頂く(戴く)ことの嬉しさや喜びをいつも心に抱いて、働かせて頂いたことをもう一度振り返り、どんなお仕事でも「させていただく」有難さや謙虚さを忘れないでいたいと思う。

全ては頂いたおかげ、頂いたよろこび、戴いたいのちに深く感謝を捧げたい。

合掌