鎌倉殿の13人:源平の争乱 編

 

 今回は、第二章 源平の争乱 編(第十三~十八回、4・5月ごろに放送か)のストーリーを予想してみたい。保元・平治の乱で幕を開けた武士の世は、坂東の片隅・伊豆に上がった火の手により、源平の英雄が次々と現れては消えていく、波瀾と興亡の時代へ突入する。

 

■第一部(第一~二十四回) ※1~6月ごろ
 第一部は、鎌倉殿(頼朝)・政子夫妻を中心に、鎌倉殿と13人との出会い、そして13人が13人足りえた経緯を描く。

 

 第二章 源平の争乱(第十三~十八回) ※4・5月ごろ

  治承四年(1180)八月、伊豆に流されていた頼朝は、以仁王の令旨を奉じて挙兵した。しかし、石橋山の合戦で敗れた頼朝は、敵方の将・梶原景時の機転により、窮地を脱すると、真鶴岬から安房へ渡り、房総半島を北上。関東一円に檄を飛ばし、各地の坂東武者を糾合しながら進軍する。大軍に膨れ上がった頼朝軍は富士川で戦わずして平家の追討軍を敗走させ、父祖の地・鎌倉に本拠を構えた。その数ヶ月後、平家の総帥・平清盛は熱病のため、あっけなく薨去する。

 

  第十三回 木曾の旗揚げ、
   治承四年九月、木曾に旗揚げした義仲は、翌五年六月、越後から信濃に侵入してきた平家方の大豪族・城長茂を横田河原に撃破する。

   寿永二年(1182)三月、頼朝に強い対抗心を抱く義仲は我が子を人質に頼朝との衝突を回避し、都へ向けて進撃を開始する。

   同年五月、平維盛率いる追討軍を倶利伽羅峠に破った義仲は、以仁王の遺児・北陸宮を奉じて、北陸道を邁進していた。


  第十四回 都落ち、義仲入京、武士の国、広常誅殺

   寿永二年七月、木曽義仲が破竹の勢いで迫るなか、平氏の新たな総帥・平宗盛は、天皇や建礼⾨院を奉じて、都を落ちる決断をする。

   入京した義仲は、北陸宮を皇位につけようとして後白河法皇の怒りを買い、法住寺殿を焼き討ちする暴挙に出る。

   富士川の合戦後、平家追撃にはやる頼朝を押しとどめた上総介広常は、おのれの力を誇示し、キングメーカーのごとくに振る舞っていた。その傲慢さは日増しに甚だしくなり、頼朝にさえ見せる不遜な態度は鎌倉を瓦解させるのではないかと恐れた梶原景時は一計を案じる。


  第十五回 義仲没落、一の谷、京下りの官人、義経の無断任官、

   平家を都から追った義仲は北陸宮を即位させようとして、かえって法皇の強い反発を招き、元暦元年(1184)正月、頼朝の命を受けた範頼、義経を大将とする鎌倉軍に破れる。

   一方、いったんは西国に撤退していた平家だったが、一の谷まで勢力を盛り返しつつあった。そんな中、中原広元ら京下りの官人たちが鎌倉を訪れる。頼朝は武家による統治の仕組みをつくり上げようとしていた。
  ※鎌倉殿との出会い:〇大江広元、〇中原親能、〇二階堂行政


  第十六回 屋島・壇ノ浦、腰越状、義経襲撃
   無断任官で頼朝の怒りを買った義経は平家討伐軍の大将を外され、範頼は苦戦していた。業を煮やした頼朝が義経を復帰させると、義経は屋島の平家を奇襲して破り、ついには平家を壇ノ浦に沈める。

   しかし、凱旋した義経を頼朝は鎌倉に入れず、義経は腰越状にその心情を切々と綴るが、中原広元に握りつぶされ、都へと追い返されてしまう。文治元年(1185)十月、頼朝は土佐房昌俊を義経への刺客として京に送り込む。


  第十七回 秀衡の死

   土佐房昌俊の襲撃を受けた義経はついに頼朝への反撃を決意する。しかし、義経は挙兵に失敗し、奥州藤原氏を頼って、平泉に逃亡する。頼朝は、義経の首を差し出すよう、要求するが、頼朝の野望を見抜いていた藤原秀衡は義経を匿い、彼を総大将として、鎌倉と戦うことを決意する。

   文治三年(1187)十月、義経の最大の庇護者・秀衡が亡くなると、義経の扱いを巡って平泉に不穏な空気が漂い始めるのだった。


  第十八回 衣川、奥州征伐
   文治五年(1189)閏四月三十日、藤原泰衡は父の遺言に反し、衣川に義経を襲撃し、これを殺害する。義経の首は鎌倉に送り届けられるが、頼朝の狙いは初めから奥州藤原氏を滅ぼすことにあった。

   同年七月、頼朝は自ら大軍を率いて、鎌倉を進発した。翌八月、頼朝は泰衡の庶兄・国衡が守る阿津賀志⼭を攻め、これを撃破する。泰衡は⽐内郡贄柵に逃れるが、家臣の河田次郎に殺されてしまう。ついに頼朝は武力で天下を平定したのである。

 

 

 【配役】

  〇頼朝・政子夫妻と北条家の人々  主人公・義時との関係
   源頼朝(39):大泉洋さん  義兄
   北条政子(29):小池栄子さん  実姉
   北条義時(23):小栗旬さん (本人)

   大姫(8):●  姪

   北条時政(48):坂東彌十郎さん  実父
   牧の方(-):宮沢りえさん  義母

   阿波局(-):宮澤エマさん  実姉

   阿野全成(33):新納慎也さん  義兄

   牧宗親(-):山崎一さん

 

  〇頼朝の血縁者たち

   源範頼(-):迫田孝也さん
   源義経(27):菅田将暉さん
   源行家(-):杉本哲太さん

 

   木曽義仲(-):青木崇高さん  ※享年31(1184年)
   巴御前(-):秋元才加さん
   木曽義高(-):市川染五郎さん  ※享年12(1184年)
   武田信義(58):八嶋智人さん
 

  〇義経をめぐる人々
   河越重頼の娘(18);●
   静御前(-):●
   弁慶(-):●

   金売吉次(-):●


  〇奥州藤原氏の人々
   藤原秀衡(64):田中泯さん
   藤原奏衡(31):●
   藤原国衡(-):●

 

  〇比企家の人々

   比企尼(-):草笛光子さん
   比企能員(-):佐藤二朗さん
   能員の妻・道(-):堀内敬子さん
   安達盛長(51):野添義弘さん
   河越重頼(-):●
 

  〇三浦党の人々

   三浦義澄(59):佐藤B作さん
   三浦義村(-):山本耕史さん
   和田義盛(39):横田栄司さん
 

  〇御家人たち

   梶原景時(-):二代目中村獅童さん
   畠山重忠(22):中川大志さん
   土肥実平(-):阿南健治さん
   仁田忠常(19):高岸宏行さん(ティモンディ)
   千葉常胤(68):岡本信人さん
   上総広常(-);佐藤浩市さん
   足立遠元(-):●
   八田知家(-):●
   江戸重長(-):●
   工藤祐経(-):坪倉由幸さん(我が家)
   大庭景義(-):●
   山内首藤経俊(49):山口馬木也さん
 

  〇幕府の文官たち
   大江広元(38):栗原英雄さん
   中原親能(43):●
   二階堂行政(-):●
   三善康信(41):小林隆さん
 

  〇平家方の人々

   平時子(60):●
   平頼盛(53):●
   平維盛(27):●
   平宗盛(39):小泉孝太郎さん
   平知盛(34):●
   平重衡(29):●
   平教経(-):●
 

  ○その他の人びと

   後白河法皇(59);西田敏行さん
   丹後局(-):鈴木京香さん
   九条兼実(37):●
   一条能保(39):●
   平知康(-):矢柴俊博さん
   文覚(47):市川猿之助さん

  ※()内は平家滅亡(文治元年)時の年齢
  ※●印はキャスト未定