監督が亡くなって大分経ち、今更の投稿になってしまったし、もう世の中的にはすべての賛辞が出尽くしていると思うが、一つだけ、生前から監督に対して想っていたことを書きたい。監督は巨人を退いてから10年あまり、いろいろなスポーツ関係の仕事をしていた。当然、12球団のいくつかから監督要請はあっただろう。しかし、彼は振り向きもしなかった。1997年、Jリーグ発足の年についに巨人の監督に復帰して、サッカー熱で下火になっていたプロ野球の人気回復に少なからず貢献したことは間違いない。だが、私が言いたいのは、監督の晩年についてである。脳梗塞で倒れ身体が不自由になってからもリハビリに励み、翌年には巨人戦を観戦できるまでになった。監督はとにかく巨人への愛情が誰よりも強い人だった。普通なら、原巨人が強いとき大監督として称えられたりしたら、凡人であったら多少複雑な気持ちになると思うが、監督に嫉妬という感情は一切ないのかと思うくらい、原に賛辞の言葉を送っていた。常に、心から巨人を応援し、勝利を喜び敗戦のときは残念そうにしている姿がいつも映し出されていた。高橋由伸、阿部慎之助になっても度々応援に訪れて亡くなる直前まで明るく声援を送っていた。誰が監督であろうと生涯巨人愛を貫いた姿に感動したし、誰にも真似できないことなのではないか。この純粋な巨人愛がどんな功績より、巨人軍の選手に対して最も語り継がれるべきことなのではないかと、今回の訃報に接して改めて想いを強くした。