今週の「まつもtoなかい」に赤西仁が山田孝之とともに10年ぶりに地上波に登場した。ネットではあまり大きく取り上げなかったが、赤西が10年前にKAT-TUNを脱退して退社してから3年間、つらい時もあったが、中居君から3年続けて人づてにだがお年玉をもらったことで、とても救われた、この10年、ずっと会いたかったと熱く語った。これについて中居君が、赤西のパフォーマンスを見て、これはグループ、事務所では収まりきらない、一人でやりたいと思うのは無理もないと感じ、独立しても無関心じゃないよ、関心を持っているよということを伝えたかったと話して、赤西が泣きそうな顔で「めちゃくちゃうれしい!」と感激していた。その様子に私も、ちょっと涙が出そうになった。
10年前といえば、マネージャーの飯島のもとでスマップの全盛時代であり、中居君個人としても最も忙しい時期だった。しかもKAT-TUNとはほとんど接点がなかっただろう。そんな関係の中で、ほぼ初めての後輩の一グループからの脱退、退所には当然、事務所も怒り、世間でも赤西はバッシングされていた。それを知らん顔もできたはずだが、中居君はそうはぜずにお年玉という形で赤西を応援していたという事実。これを稀有な後輩想いの優しい先輩と言わずしてなんと表現すればいいのだろう。
視聴率はあまりよくなかったそうだが、ジャニーズの先輩、後輩は必ず番組を観ていただろうし、改めて中居君という人の先見の明や優しさ、器の大きさを思い知ったのではないか。そして、中居君が退社せず残っていてくれたらどんなによかっただろうと思った後輩も多かったと思う。
この10年間、ジャニーズへの忖度からほとんど日本で赤西のことは報じられていなかったが、彼は努力して、ハワイやロスに豪邸を構えることができるほど、一定の成功をおさめたといえる。
中居君がその豪邸の様子を写真で見て、困ってると思うからあげたのに、お年玉返してくれよと言うと、赤西が3年しかもらってないので、今日は7年分貰うつもりだったと返してスタジオは笑いに包まれた。山田孝之が二人の関係は温かいですねと言っていたが、人と人とのつながりは、一緒にいる時間の長さでもなく、会ったり話した回数でもない。間接的に渡された、たった3回のお年玉でも十分紡いでいくことができるのだと感慨を新たにした。
現に、中居君は今回のお家騒動で退社していった無名のジュニアにも何かの形で労っていると自分の口で言っていた。それが手紙なのか、品物なのか分からないが、彼らがそれに救われて、新しい一歩を踏み出せることができたらいいと思う。
芸能界には、後輩だけではなく、多くの人が中居君の言葉だったり、たった1枚の手紙やメールで救われていることは間違いない。「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格はない」という金言があるが、中居君はこんな言葉をはるかに凌駕した生き方をしている。