15、МC中居の原点
金曜日のスマイルたちへ(2001~)通称『金スマ』
中居の持っている現在の冠番組の中で、もっとも彼が大切にしているのは『金スマ』なのではないか。バラエティМCの原点であり、中居が、この『金スマ』でトークの実力を磨いてきたTBSの長寿番組である。
金スマ波乱万丈、一人農業、社交ダンス等の企画物も成功しているし、話題ネタの放送の早さ。テーマ、丁寧な企画、どれをとっても他の似たような番組に比べて突出している。人気アナの安住が進行することが多いこともあるが、やはりМCが中居であるということで成り立っている番組なのである。
多くの人の人生が、この番組で取り上げられたが、ここ最近ではXJAPANのYOSIKIの、波乱万丈の人生を放送して大反響だった。
中居が、YOSIKIに、「神様は乗り越えられる試練しか与えないって言いますよね」、と言うと、YOSIKIが、「僕もその言葉をいつも思っているんですよ」と。中居とYOSIKI、SMAP解散のときに、コメントも出してくれた仲。違う性質のグループであるが、お互いリーダーとして分かり合える部分も多かったのだと思う。
直近では西城秀樹追悼の回。新御三家世代の人間にとっては、早く放送してほしいと待ち望んでいたが、野口五郎が心の整理ができず出演をためらっていたことが、本人から明かされた。
前半はTBSならではの、『ザベストテン』『日本レコード大賞』などの新御三家と言われた、西城、野口、郷などの秘蔵映像などを流した。
後半、野口五郎が登場すると、中居は「僕らが勝手に良きライバルとか、良き親友というふうなことを言いますけれど、これはもう本人同士にしかわからないこと。僕らが解釈してお話することじゃない」という姿勢で迎えた。
そして、「五郎さんにとって秀樹さんはどんな存在だったのでしょうか」と質問し、「多分、人生何度繰り返しても、こういう人には会わないと思います」と。
中居は、「すごく印象に残っているのは、秀樹さんが亡くなった時、五郎さんが『今はお話できません。心の整理ができていないので』とおっしゃったことです」と。
中居は親しい芸能人が亡くなってもコメントは出さない。
最近では樹木希林の葬儀に参列していたが、囲み取材とかは受けていない。
本当に悲しい時、人はすぐに何も語ることはできない。多分、直後に通り一遍のコメントを出す人ほど、本当に近しい人ではないと思っているのだろう。
話を戻すが、続けて「本人たちにしか分からない絆だったり間柄なので僕たちが解釈してお話することじゃない」と、再度言った。
デビュー当時、夜中にホテルを抜け出して2人で屋台のラーメンを食べに行った時などの再現Ⅴが流れ、その話を五郎がしはじめたが、「北風と太陽」の話と同じで、人は人の心の暖かさを感じると、心を、開いていくのだということを改めて感じさせた。
そして、レコード大賞歌唱賞のダブル受賞で抱き合って喜ぶシーンを見て号泣すると、「五郎さんにしかわからないんです。それでいいと思うんですよね」と優しくフォローした。
2人ゴルフの映像が流れ、ゴルフで五郎に勝てない秀樹がすねて、「もう、帰る、帰る」と言うと「いつも、あいつああ~ですよ、いっつもあの調子」と笑いながら、カメラに向かって言う五郎。
五郎が秀樹のために作った歌を2人で歌うシーン。もう立っているのがやっとだったという、秀樹の還暦の祝いに、サプライズ出演して「人生で一度だけだから、抱いていいか」と言って抱き合ったシーンなどが流れると、「友達ですか?」「以上ですね」と短いやりとり。
そのあと、2005年に『うたばん』に2人で出た時に話が及び、「中居さんがリハーサルで何か面白いことやってほしそうに、ニコニコしてこっちを見てたので、楽屋に戻ってから、秀樹が歌った後、マイクを逆さにして僕に渡して僕がマイクを拭くというギャグをやることにして、絶対本番で笑うなよと言って。あれは中居さんのためだけにやったギャグなんですよ」と。実際にその映像が流れて中居を驚かせた。「全然そんなつもりなかったんですけど」「いや、何かやってほしそうに我々を見てましたよ」。それを話す五郎にはいつものいたずらっ子のような笑顔があった。五郎や秀樹まで・・・13年も前から、新御三家と言われ一世を風靡した彼等に中居がリスペクトされていたことに、聞いている方が驚いた。五郎は中居の番組だから出てくれたのかもしれない。
次回も金スマの続き