4、中居のプロデュース力 舞祭組
中居はもちろん、キスマイの前の3人も可愛がっていて自分の番組に出しているが、最初から3人は人気がある。そこで後ろの4人を「舞祭組」としてプロデュースして、ふざけた内容ながら楽曲も作って歌わせた。舞祭組の名付け親はジャニー喜多川とのこと。みんな歌は下手だし、すごくイケメンとは言えないが、千賀は『プレバト』では俳句や絵も上手い。横尾は『プレバト』で俳句の名人三段、先日は宮田が『UTAGEスペシャル』で梅沢等と見事に難しい和太鼓を完璧に叩いた。多分、中居は彼らの中に努力できるという才能があることを見抜く力を持っていたのだろう。特に千賀は音符も読めないのに、『UTAGEスペシャル』でチャゲ、XJAPANのTOSHI、秋川雅史の名曲を本人とピアノでコラボできるまでになった。
『プレバト』でも口の悪い浜田が中居の愛弟子ということで、舞祭組のメンバーに対して馬鹿にした態度をとらないし、『UTAGEスペシャル』で共演している梅沢富美男はとても可愛がっている。やはり中居の芸能界での地位の高さを感じさせる。
舞祭組が中居に捧げる曲として自分たちで作った曲の歌詞
「道しるべ」
あなたからもらった1000の言葉忘れないよ
震えた手を握り締めた 負けないよ 僕ら
あなたといると何故か 全てが上手くいく気がした
戸惑い迷い不安さえも
本当に二つに割れちゃうんだね
おしりみたいで嫌だね 嫌だね
そんな冗談も言えないから
僕らの道を照らしてる ペリドット(中居の誕生石)が心を繋ぐ絆
ありがとうじゃ足りないの 思うほど切なくて
声に出して叫び続けた 届くかな
僕らは世界を渡るよ あなたとは違う道で
もう二度と来るはずのない この気持ちを
笑われても大丈夫 泥臭く生きるよ
もう見当たらないその姿 僕らだけの道しるべ
この曲はほんの一瞬であったがヒットチャート1位になった。たまたま『ミュージックステーション』で歌ったとき、事情を知っていたKINKI KIDSも出演しており、歌う前に「こっちもドキドキする」と言っていたのが微笑ましかった。
後輩たちから歌を捧げられたのは、後にも先にも中居だけだろう。
中居のために歌を作った舞祭組の行動力と才能。中居は最初から磨けば光る子たちであることを見抜いてプロデュースする気になったのではないか。
後日、中居が4人の前に現れて、「なんだよ、この歌。俺、死んじゃったのかよ。全然嬉しくない!」と言い捨ててプイと行ってしまうというシーンがあった。もちろん照れ隠しだろう。褒められるとか、そういうことを一番嫌う、天邪鬼炸裂だった。
しかし、今年、舞祭組は単独コンサートまで開けるほどの人気が出て、中居はサプライズ出演した。そして『UTAGE』のとき、舞祭組を見る中居の眼差しは、音程をはずしたり失敗することも多々あるが、まるで父親のように優しい。本当に可愛いのだろう。
『ナカイの窓』で、ハワイに行ったとき、中居が席を外した時に、陣内が酔った舞祭組(キスマイ)の千賀に「中居君のこと好き?」と聞いたとき、涙を浮べて、「全然、距離、縮まらないけど、一度も怒られたことないし、一方通行だけど大好き」と。
また、これはプロデュースではないが、陣内智則、森脇健司も中居が自分の番組に呼んで再ブレークさせたし、さらに瀬川瑛子や前川清などの往年のスターもトークのゲストで出演させ、歌手とは違った一面を上手く引き出している。
「中居再生工場」という言葉が生が生まれているのも、その辺にあるのだろう。
5、中居と後輩たち
中居の後輩として一番に上がるのはやはり、KINKI KIDS(以降 KNKI)である。
彼等が10代前半の頃、コンサートの打ち上げのとき、お前らはもう遅いから帰りなさい。おつりはいいからと、タクシーを自ら拾ってくれて1万円くれたという話は美談の鉄板であるが、20年のうちに話がどんどん変わっていき、金額が5000円になったり、おつりはいいと言ったけど、領収書はくれと言ったとか。話の中身が変化していっているのが、歳月の流れを感じさせる。
KINKIがすでにビッグになってから、ビストロにゲストで出演した時、中居への恩をいろいろ語っていた。光GENJIのコンサートの時、SMAPのコーナーの時は観客のトイレタイムになってしまい、悲しい思いをしたから、KINKIのことは、僕たちと同じように応援してあげてほしい、みたいなことを中居が言っているのを、裏で聞いていた剛が号泣したとか、中居を大好きなジュニアの子が、中居に自分を見てもらいたくて、水の速射砲の前でギターを弾き、どっぷり水をかぶってしまったとか。他のメンバーとの心温まる思い出も話されていたが、中居に対して特別な思いがあることが言葉の端々に感じられた。
当時のことは記憶にないと言いながら、京都南座の1か月公演の時「剛がホームシックで泣いていたよね」と、本人ですら忘れていることを覚えていた。当時、2人が13歳ぐらいと考えると、中居もまだ成人したかしないぐらい。そんな歳でも後輩を心配していて、それをずっと覚えていた。
光一が10年ぐらい前に『ブラックバラエティ』に出た時に、中居や国分、井ノ原と飲みに行った帰り、中居と2人きりになってしまい「僕も大人になったので、今度は自分がタクシーを拾って中居君を乗せようとしたんですが、全然来なくて、俺、もうワタワタしてしまって。そうしたら後ろから中居君に『早く拾えよ!』とお尻を思いっきり蹴られて、あの、優しかった中居君はどこへ行ってしまったんだろうと思った」と笑って話していた。
SMAP解散の年、『音楽の日』に「ジェットコースターロマンス」を歌った時、最初に光一が中居のもとに駆け寄って一緒に歌おうとして、中居に追い払われそうになったところに剛がやってきて中居を囲んで歌った光景は感動的だったと、先輩後輩の美談として長くネットを賑わした。その時のことを後に中居は「涙が出そうになった」と語っている。しかし中居の器の大きいところは、安住アナに「良い後輩ですね」と言われたとき「2人はもう超一流のアーティストですから、後輩という感じではありませんね」と答えたことだ。それは事実であるが、とっさにそういう言葉、後輩であってもリスペクトする言葉が出るところだろう。
去年、剛が突発性難聴になり、コンサートに出られなかった時、光一には「1人で舞台に立つのか。大丈夫か、乗り切れ」、剛には「完治!完治!完治!」とメールしたことが、光一は舞台上で、剛はラジオで語ったそうである。
今年四月七日、TBSで『CDTV祝25周年SP』で久々に、中居、KINKIの共演があり、その時も相変わらずのやり取りが展開された。
江藤愛アナ デビユー前からお世話になっているそうですね。
剛 お世話にしかなってないですね。
光一 たくさんありすぎて、それこそ現在の名前が付く前からですから。
中居 (照れて)そんなことありましたか?前の名前なんでしたっけ。
剛 KANZAIBOYA。
中居 そっちのほうがよかったんじゃない?
光一(笑いながら)絶対思ってないでしょ。SMAPでよかったでしょ。
中居 KANZAIBOYA,SMAPBOYA,ありえないな。
ところで、剛、耳大丈夫なの?
剛 それ言います?大して調子戻ってませんが、歌いますよ。中居君よりは上手く歌えますよ。(光一が剛に「ちょっと待てよ」と言う)
中居 俺は歌えるのに歌わないっていうね(笑)
剛の失礼発言に光一は焦っていたが、中居は軽く受け流して笑いを誘っていた。それだけ、何を言ってもOKな間柄なのだろう。それと、現在禁句ともなっている「SMAP」という言葉を、光一があっさり言ったが、これはKINKIにしか言えないだろう。長い間に二人との関係性は少しずつ変化しているかもしれないが、後輩思いの中居と、先輩大好きなKINKIの想いは変わっていない。
『カミスン』で後輩との関係の話になったとき、基本的に後輩に何か言うことはとはあまりない。それでも後輩に相談されたとき、断定はしないようにしている。こういうやり方もあるけどまたこういうやり方もあるとアドバイスする程度。それを松崎しげるが理想的な関係だと感心していた。「多分自分に自信がないんでしょうね」と。謙遜ともとれるが、自分に厳しい中居の本心ではないかとも思われる。
次回は後輩たちの証言のつづき