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cindyの乳がんのち日常の日記

2010年11月乳癌告知。 
術前抗がん剤→温存手術→放射線治療を終えてホルモン療法をしていました。

2021年7月、10年目の年次検査をクリアして半年ごとの検診のみになりました。

トイレの水が止まらなくなって、

業者を呼んだのね。


そしたら、すっごいマッチョな

お兄さんが来た。


トイレはお兄さんが流すと

ピタリと止まり、

さっきまでのあれはなんだった?

という不可解な結末だった。


お兄さんが帰るとき、

つい「すっごく大きな肩ですね」

「かっこいいですねー」

と、声をかけてしまった。


そしたらお兄さんは

照れながら

「大したことないですよ」って。


「いやいや、相当デカイですよ」

と声をかけたら

嬉しそうに

「ありがとうございます」って

言ってたー。


床屋から帰宅した夫に

この話をしたら、

よく話しかけたねー

でも筋肉褒められて

結構嬉しかったと思うよーと

言ってたー。


いやマジですごい肩と腕と

胸板だったんだって。


細マッチョじゃなくて、

ガチ勢でしたわ。

何度かブログに書いたけど、

今年も書こう。


私のおば(母の弟の配偶者)は

赤ちゃんの時に長崎で被爆した。


爆心地からは離れたところに

いたから即死した親族はいなかった

そうだけれど、次々に

白血病や癌になって亡くなったそうだ。


おばも乳がんを発症して

あっという間に肺と脳に転移した。


近所に住んでいたから、

家にも病院にもよくお見舞いに行った。


おばは、従姉妹を出産したあと

初めて生理が来たと話してくれた。


被爆したせいで子供ができない

身体だと言われていたそうだ。


妊娠した時、医師に奇跡だと

言われたんだって。


なかなか子供ができなかった事と、

母が幼い私ににキツく当たる場面を

何度も目にして心を傷めたらしく、

叔父と相談して養女にしたいと

申し出たことがあったと聞いた。


おばにはとっても可愛がられた。


従姉妹たちが嫉妬するほど。


ユーモアたっぷりで、

いつもニコニコしていて、

声を荒らげることもなく

穏やかな人だった。


乳がんに罹患して

肺転移して胸水が溜まっても

苦しいとか痛いとか言わなくて、

被爆しちゃったから仕方ないのよって

なんだか達観してた。


達観なんてして欲しくないよ。


今日は長崎に原爆が投下された日。


戦争がなくなりますように。


(憲法改正されませんように)


核兵器がなくなりますように。


区からの防災情報によると、

もしも最大規模の南海トラフ地震

(M9クラス)が起きた場合、

震度5強程度で、

津波も河川敷に浸水程度で

住宅街には影響がない模様とのこと。


うーむ、東京でこの規模だと

震度7や6が想定される地域の方は

さぞ心配だと思う。


Xを見てたら、

すでにドラストで買い占め?

大量の買いだめをする人が

増えつつあるとか。。。


どうか大きな地震が起きませんように。




術後の年次検査の

血液検査の結果を

聞きに行ってきたよ。


特段問題なく、

14年目に突入!


術前抗がん剤をやったから、

それを加味すると15年目か?


診察の時に質問したの。


ホルモン治療で 

骨粗鬆症のリスクが上がるけれど、

私みたいに骨棘ができるとか

関節の異常は関係あるのかって。


エストロゲンは骨の新陳代謝に

関係するけれど、

骨棘は関節の変形だから

関連はないよーって返事。


まあ、そもそも

骨棘は加齢による軟骨が

磨消した結果だったり、

過度に負荷が長期間に

渡った結果なんだけど、

詳しいメカニズムは分からないって

整形外科医に言われたんだけど。


はぁ、雑巾をもみ洗いする時とか、

雑巾を絞る時痛いのよねん。


次回の診察は

半年後のエコー。

スーパーで買い物していて

ベビーカーとすれ違う時、

まず私は道を譲る。


だけど、狭い通路で

譲られて当然のような顔を

されると、???と思う。


お礼を口に出して言え!

なんて事は思わない。


会釈とかあってもいいんじゃない?


と、思うよ。


なんなら買い物終わりに

手押しカートやベビーカーの方が

カゴを戻すのを手伝ったりするが、

会釈すらしない人がいる。


なんでだ?


お礼をして欲しいんじゃない。


何事もお互い様だと思う。


でも、譲ってもらって当然。


手伝ってもらって当然。


って態度を見ると、

???と思うんだ。