今回の四国への旅で最初に立ち寄った場所は
道の駅ゆすはら です。
福岡県から車で四国を目指す場合、私はほとんど ”国道九四フェリー” を使います。
今回も大分県の ”佐賀関フェリーターミナル” を朝9時に出航し、愛媛県の細長い佐田岬半島にある ”三崎港” に70分で到着しました。
今回、たまたまフェリーへの乗船が ”1台目” だったために、下船のときも最初です。
めったに無い事なので、助手席の嫁が写真を撮っていました。(笑)
ご覧のように前に誰もおらず、トップランナーです!(*^^)v
ちなみに ”国道フェリー” という名前は、このフェリーが大分市と高知市を結ぶ 『国道197号』の一部だからです。
むかしは ”197(行くな!)” と呼ばれたほど酷い道だったそうですが、今は大丈夫です。
今回四国へやってきた本来の目的は高知県佐川町にできた新しい道の駅への訪問ですが、そこに至るまでの国道197号沿線にはざっと7カ所の道の駅があります。
全部を立ち寄るわけにもいかないので、その内の2か所だけ訪問することにしました。
最初に立ち寄ったのが、この ”道の駅ゆすはら” です。
国道197号を高知県に入った最初にある ”梼原町(ゆすはらちょう)”は、日本三大カルストの一つである ”四国カルスト” を町の北部に擁する高原の街です。
標高が高いことから『雲の上のゆすはら』が町のキャッチコピーです。
道の駅ゆすはらは ”太郎川公園” という広大な公園と一体化した中にあります。
そこには 「雲の上の温泉」「雲の上のプール」「雲の上の市場」「ライダーズイン雲の上」など、”雲の上” を名前につけた施設が数多くあります。
でも、前回来た時とちょっと様子が違っているのです。
周辺の案内図はおそらく以前来た時と同じだと思います。
前回私がこの道の駅へ来たのは 2009年12月ですから13~4年前になります。
この案内図の中央に描かれているのですが、ここには 「雲の上のホテル・レストラン」があり、その左手に道の駅の建物があったはずです。
※雲の上のホテル・レストラン(2009年12月11日撮影)
※以前あった道の駅の本体(2009年12月11日撮影)
この二つの建物が今どうなっているかというと、次の写真の通りです。
完全に更地になって、”キャンプサイトB” の看板がありました。
道の駅の本体については、以前からある 「雲の上の温泉」の中で営業している、という情報を事前に見ていたのでそちらへ行ってみました。
正面に見える木を組み合わせた奇抜な構造物は「雲の上のギャラリー」と言います。
先ほど写真をお見せした昔の 「雲の上のホテル」もそうですが、これらの建物は国立競技場を設計したことで有名な 『隈 研吾』氏の作品です。
実は梼原町は隈研吾氏が手掛けた建造物が多数あることが大きな特徴で、「梼原町総合庁舎」をはじめ、「まちの駅ゆすはら」「雲の上の図書館」「YURURIゆすはら」などが有名です。
残念ながらこの雲の上のギャラリーも現在は閉鎖されていました。
「雲の上の温泉」はギャラリーの右手前にある建物で、その右端が「雲の上の市場」になっており、ここに道の駅スタンプや登録証は置いてありました。
ここの店員さんに話を聞いて、おおよその事情が分かりました。
雲の上のホテル・レストランは2021年10月から休業となり、取り壊されたそうです。
当初は道の駅の本体としてホテル、レストランを含めて建て替える計画だったのが、ウクライナ侵攻等が原因ですべてが値上がりし、建替え費用は当初予算の1.5倍に膨らんだのだそうです。
ですから、新しい道の駅がいつ完成するかは、現在のところ未定です。
”坂本龍馬脱藩の道” の看板が!
坂本龍馬が土佐藩に見切りをつけて脱藩した時に通ったのがこの付近の山道です。
今回「坂本龍馬記念館」も見に行く予定なので龍馬ファンの一人として楽しみです。
最後の写真は茅葺屋根の水車小屋です。
梼原町内に残っていたのをここに移築したそうで、以前来た時にもありました。