次も津波で大きな被害に遭った
道の駅大谷海岸(おおやかいがん) のレポートです。
6年前の東日本大震災で大きく被災した道の駅は、全部で6カ所ありました。
岩手県の 「みやこ」 「高田松原」 、宮城県の 「大谷海岸」 、福島県の 「よつくら港」 が津波被害を受け、福島県の 「ならは」 「南相馬」 は原発事故による被害です。
この内、前回ご紹介した 「高田松原」 と 「ならは」 が今も再開できず、「休館中」 となっています。
それ以外の4か所は既に通常営業を行っていますが、ここ大谷海岸もそのひとつです。
上が店舗、下はトイレの建物ですが、店舗は元々 「農林水産物直売センター」 として道の駅の本体とは別にあったものです。
その本体であった 「はまなすステーション」 は、JR気仙沼線の 「大谷海岸駅」 を兼ねていました。
そのステーションの、5年前に来た時の写真が次の2枚です。
前回ご紹介した 「道の駅高田松原」 と同様、建物の内部は完全に破壊されていました。
この場所で、15mの津波が襲ったのだそうです。
その建物が今回どうなっていたかというと、全く跡形もなく撤去されていました。
その跡地には、3体の地蔵様が祀られていました。
ここに書いてあるように、国道を挟んだ高台には慰霊碑があり、お参りする人の姿が見えました。
この地にはかつて “はまなす公園” があり、夏場は “大谷海水浴場” で泳ぐ人たちで賑わい、大谷海岸駅は 「日本一海水浴場に近い駅」 と言われてきました。
その駅は、今もまだ復興していませんでした。
代替の交通手段としては、JRバスが運行しているようです。
そして道の駅から見える海岸線の風景も、5年前とほとんど変わっていません。
浚渫などをしているようですが、海岸の手前には、黒い土嚢が積み上げられています。
松原も砂丘も消失してしまったからなのだそうです。
道の駅には頻繁に車が停まって人が出入りし、活気がありました。
それが何よりもの救いだと思いました。
次回はこれら被災地を外れますので、この三陸海岸沿いの道路で頻繁に見かけたものを、最後にご紹介しておきたいと思います。
これは海抜が一定の高さを下回ると表示されるのだと思います。
低くなると 「Start」 の看板が出て、戻れば 「End」 が表示されます。
これがあれば他地域から来た人にもわかりますから、とても良い取り組みだと思います。