今、街を見渡してみると、学習塾が所狭しと存在している。これって当たり前のことなんでしょうか?
僕には異様な光景に見えます。
これって義務教育である小中学校および、ほぼ義務教育な感じでもある高校の授業では足りない!ということで子供を塾に行かせる人が多いということだと理解しています。足りないという意味は、他人より抜きん出たいとか、受験でよりいい学校に行きたいという目的も含んでのことですよ。そういう目的を果たすためには、学校の授業だけでは足りないということなのでしょうか。
日本は豊かな国です。世界にはろくに学校すら行けない子供もたくさんいることを考えれば贅沢な悩みなのかもしれませんが、そうだとしても結局は金銭の問題で子供のときに受けられる教育に大きな差が出てしまうのはどうなのだろうかという気がしています。
その国の教育レベルがどうであれ、その子供たち個人が受けられる教育に差は出ます。でもその差の許容範囲というものがあると思います。もはや学習塾なしでは教育が成り立たないかのような、この国の有り様は異様だと思うんですが。それが学習塾の過当競争として表面化しているのではないでしょうか。日本全国を隈なく見渡していけば、そうではない地域もあるのかとは思いますが、少なくとも僕の周りではそのような教育の実態しか見えてきません。
学校とはその名の通り、学ぶところです。音楽・美術・体育のような芸術・スポーツの基本も学べますが、それは必要であり素晴らしいことだとも思っていますが、付属的なものにすぎず、あくまで中心は学科・学問(というのか?)だと思います。芸術・スポーツまで義務教育で専門的に教えることも難しいでしょうから、そういう分野こそ、付加価値として学校以外の「塾」のような場所で学ぶべきものかなと思います。他の公的な専門機関を設けてもいいでしょうし。
学校では、ゆとり教育(もう言ってないですが)なんてバカなこと言ってないで、もっと懸命に教育してほしい。学校以外の時間をどうせ学習塾での時間に費やすのであれば、学習塾が必要ないくらいに学校でその時間を取って教えるべきだと思います。週休2日もいりません。そんなのは国の都合で、教育の責任を放棄し、その責任を国民に押し付けているに過ぎません。
そして、そこには当然ながら不足している教育の需要が発生するので、営利目的である企業が代わりに教育サービスを提供しているのです。企業が教育サービスを提供するのが悪いわけではないと思います。僕自身も教育分野の事業には興味があるので、参入したいとも思っているほどです。しかし、そういう企業がないと成り立たない教育制度という構造自体に問題があるということが言いたいのです。
インドでは小学校低学年から2桁の掛け算を暗記します。そこだけ見ても仕方ないとは思いますが、九九すらも出来ない子供もある程度いると思われる日本とは大違いですね。。また教育カリキュラムのことを挙げるとキリがないのですが、日本では社会に出てから本当に必要になることを教えてくれません。例えば「お金」に関する教育は皆無です。日本人的な独特な美意識でお金の事を話すこと自体が「悪」とでも考えられているのか、あまり語ろうとも学ぼうともされていません。そのまま大人になり社会に出されてしまうと、何の知識もないまま、単に預貯金をしたりして金を死蔵したり、逆に高額のローンとかを組んでしまったりすることも多いのではないでしょうか。そこで巷にありふれている「マネー」本とかを読み漁るようになります。「お金」は「お金」であって、それ以下でもそれ以上でもありませんし、「お金」自体に善悪という概念はありません。そういったことも教育として行う必要があると思います。
また、家庭の経済的な理由から学べることが限られてしまうというのは、非常に問題があると思います。それは貧富の差が子々孫々と引き継がれていくという理由のひとつにもなりかねません。子供たちには無限の可能性があるわけで、それを摘まない為にも、少なくとも教育という環境では貧富の差は一旦リセットされてしかるべきではないでしょうか。
子供たちが望めば、あるレベルや年齢までは金銭的な制約なしに、学べる環境があるということが必要なのではないかと思います。例えばスウェーデンという国では誰でも大学までは実質的に無料で行き、学ぶことができる。しかも生活費にあたる部分も返済義務のない補助金として支給される仕組みもあるようです。
大学にいく、いけること自体に意味があるわけではありません。大学といってもその大学自体の学力の差もあるわけですし。もともと僕自身も大学中退ですし、学歴なんて関係ない、バカバカしいと思っているタイプなのですが、特殊な職種(例えば医者とか)は大学いかなければなれないとかもありますので、子供たちの将来の選択肢を広げるためにも教育というのはもっと真剣に考えなければならないと思うようになりました。
義務教育である小中学校ではもっと授業の時間を取らなければならないと思いますし、それでも学力に差が発生するのは仕方がないと思うので、ついてこれない子供たちへのアフターフォローなども学校側でできるようにしなければならないと思います。
しかし、先にも少し述べましたが、この日本においても地域によって大分違いがあるようです。というのは、僕の奥さんは岡山県出身なのですが、岡山県は教育に力を入れているようで、今はどうだか知りませんが、例えば高校受験なども、県立に進学する場合には自分が好きな高校を選べず、学力が均等になるように志望校を振り分けられたそうです。僕はそれが良いことなのかどうかは疑問に感じますが、普通はそんなこと考えもしませんから、教育に力を入れているというのはそういったところでも感じることができます。
また学校によって差があると思いますが、奥さんが行っていたのは県立高校ですが、県立であっても、入学当初から大学受験を目標にした教育カリキュラムになっているそうです。予備校などの塾に良く必要もないほど、先生がたが熱心に補習してくれたり、宿題などの量も半端じゃなく多かったようです。僕は埼玉の県立高校で有名な進学校でしたが、そんなカリキュラムではありませんでした。受験は各自勝手にやってくれ的な感じでしたので、その違いには驚いたものです。
今は一流大学を卒業したところで、いい会社・仕事に就けるわけでもないとは思いますが、まだまだ日本の大半の人は学歴社会だと思っている感じが否めません。僕が高校生の時には今よりももっとその風潮が強かったように感じていました。当時から、それに反発する訳ではありませんが、バカバカしいと考えていたので僕は進路は適当に地元の大学進学と決めてしまいましたが、、、それに明確な意図がなかったので、すぐに中退することになってしまいました。といったところで、別に後悔しているわけでもありません。
ただ今思うのは、中学生・高校生というのは本当に社会のことを何も知らない子供なのだということです。そんな子供が自分ひとりだけで自分の将来に大きな影響を及ぼすことになるかもしれない進路を決めるというのは恐ろしいことだなと。今はインターネットで情報収集は楽にできるかもしれませんが、何しろ人生経験が脆弱なので、その情報の良し悪しが判断できないのではないかと思います。もしかしたら、本当にしっかりしている子供はできるのかもしれませんが、そんな子供は一握りでしょう。基本的には親や教師を中心とする子供を取り巻く大人たちがサポートしない限りは誤った選択をしてしまうかもしれない、それが誤った選択なのかどうかは、本人次第なのでなんともいえない部分が大きいですし、それが悪いことなのかというと、そうでもないでしょう。
それでも情報収集すらできない子供だって中には居るわけです。少なくとも僕が高校生のときには、インターネットなんてなかったし、本屋でそのような本を買って情報収集をすることはできたのかもしれないけれども、僕は情報収集するという事自体にまったく興味がわかなかったので、自分が知りうる知識や想像だけで物事を判断していたかと思います。周りに進路を相談できる大人は居なかった、いや求めれば教えてくれたのかもしれませんが、どう求めていいのかもよくわからないですよね、子供ですから。
そう考えると、まあ学歴なんてどうでもいいとは思いますが、自分の将来の選択肢が、自分を取り巻く環境次第で、大きく変動してしまうんだなと思いました。例えば、高校生当時に僕が岡山県にいたら全然違う進路を選んでいたのかもしれない。元々、選択肢は多様だと思いますが、周りにいる「おせっかい」な大人達が、それらについて真剣に考えるきっかけを与えてくれたのかもしれないということです。教育環境が違うということはそういうことなのではないかと。
子供に限ったことではありませんが、人間の思考なんてものは、自らを取り巻く環境次第で大きく変わります。教育というものは子供たちの可能性を摘まないように、あらゆる選択肢を与えられるように環境を整えてあげることだと思います。
金銭的・経済的な不安だけではなくて、言葉にはしないでしょうが、このような広い意味での教育に対する漠然とした不安も、この日本で子供を生みにくくしている要因なのかもしれません。
徒然なるままに書いていたら長文になってしまいました。
とりあえず終わります。