Headark,個人日誌"母の来福と温故知新" | Sun Of No.19

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Fxxk-OK CITYにて
バンド・博多MORNING☆STAR/ReveRのSingerとして活動する
HEADのblogです☆

一昨日金曜日に、母がこちらへ来ることになり、先日は九州国立博物館へと出かけて参りました。

行って見るまでは、これまで何度か足を運んだ太宰府天満宮に隣接しているとは知らず、入館前に御参りして御神籤を一枚。

内容はというと、、

_とその前に、御神籤に関して少し遡って話をさせて下さい。
一昨年の夏、父の病院に付き添った際に、浅草寺で御神籤を引いたのですが、その時は凶。
何気に、と言うよりはハッキリとそうだろうなと実感した覚えがあります。
しかし、かと言ってそれで父の具合がどうなったとか、そう言った非論理的な結び付けをしたいのではありません。
単純に僕個人の毎日、というより気持ち的に優れず、正確には約六年ほど前から続いていた不調があったので、凶だったとして納得のいく部分もあったと言うか、しかしこれ以上は悪くはなるまいと思ったのを思い出します。

さて、それから二年ほど経った後での御神籤[みんな:01]
内容は、中吉でした^ ^
しかし詳細は中吉と聞いて受ける印象よりは厳しいものでしたが、(すべてにおいて)そうでない人生など、有るのでしょうか。

良い悪いに関わらず、時は流れ、人生を歩んでいることには変わりはない。
しかし、これを読んで、オレすべて良いことばかりだよ?と思われる方がいても、そこを批判するとか僻むものではないので安心して下さい(笑)
逆に、オレはまだマシとかという解釈もしないで下さい。
貴方には貴方の、ですよ。


さて肝心の、博物館なのですが、初来日となるフェルメールの作品がメインのような印象をもって入ったのですが、もっといろんな作品が(当然)ありました。
500年くらい前の作品がああやって残っていて、その作品に感動する、単純なようで、曲がりなりにも芸術に生きる人間にとってはとても深く響くものがありました。
例えば、太宰府天満宮の画像をFacebookに載せ、あの本殿?に関しての友人からのコメントに返信しようといろいろと言葉を思い巡らしていたのですが、なかなか見つからない。
綺麗だったとか、立派だったとか、そのようにパッと見の感想ではなく、美術館展で受けた印象と併せて何か心に深く響いているもの、それを僕の浅はかな知識で伝統や技術と言うとチープになってしまいそうだし。

ま、言葉にできないサムシングがあるという、そういうことでしょうか^^;

ところで太宰府天満宮と言えば、アートとも結びつきがあるのですね、学問ばかりと思っていたのですが、、実は先ほど知りました。
詳しくは太宰府天満宮のホームページを観られて下さい。

photo:01




その後は、天神でスキヤキを食べました。鍋料理?はよくするのですが、こうやって家族でスキヤキを食べるというのも何かよくある風景のようで、懐かしむような感覚でした。
特に、セルフご飯のコーナーにフリカケがあったのが良かった(笑)
フリカケって、何か家庭的な感じがしませんか?
僕個人的には、子供の頃の、食生活というとちょっとニュアンスが違うのですが、実家での食卓を思い起こさせると言いますかね。

僕はまあ、フリカケよりもごま塩が好きでしてね、オカズがあっても最初からかける派です[みんな:02]



長くなりましたが、先日は朝から旧いものや懐かしいものに触れつつ、時代が変わっても人々に親しまれるものという意味では不変ですが、それらに家族と触れてまわって、その中にある普遍的なサムシング、決して、例えば真新しい曲のアイデアが浮かんだなどとことではないのですが、故を温ねて新しきを知る、というような週末を過ごせたと思います。










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