記憶の中に垣間見る | Sun Of No.19

Sun Of No.19

Fxxk-OK CITYにて
バンド・博多MORNING☆STAR/ReveRのSingerとして活動する
HEADのblogです☆

今日はワイフのお友達がいらしています。俺は一人寂しく…いや、なんちゃねえ。(なんでもない)寧ろこっそりタイプしております。
夕食はとっくにとりましたけど、まだワインが空いていないという事実!!

恐怖の宴はこれから始まるのです(笑)



さて、ちょっとばかり失敬いたしまして、書斎でタイプしているのだけれども。母のブログにコメントをしながら思い起こしたことがありましたので書きたいと思います。亡き父の事です。


祖父の時代から続いてきた家業である食料品店の経営、父は母たちと共にその仕事を全うしてきました。
もちろん今でも続いています。僕は、そこについては殆ど貢献できていません。長男坊でありながら、、、
僕が子供の頃、俺はみかん箱がベビーベッド代わり(いやさすがに家にはベビーベッドもありますよ、ただそこに一人寝かせっぱなしにいうわけにもいかないので)っていうか、オモチャみたいなもので、公園の土管に潜るような感覚で楽しんでいたのも知れません。
ある時、うちの地元は結構有名なダム建設の範疇にありまして、新聞やテレビがよく取材にきてました。その中で、みかん箱インHEADの写真が使われたことがありました。確か、今でも残ってますが、この子が将来大人になったらここ(故郷)はどうなっているのだろうか?といった内容でした。

まあそれは少々飛躍したエピソードなんですけど、今日書きたかったのはそのお店で仕事する父のことでありまして。

父は青果の仕入れやパッキングが担当でしたので、何度かそれを手伝ったことがあったのです。
秤で何gかずつ計って、それを袋に詰める作業なんですが、父はその計り方や見映えについてとても細かく徹底してやっていましたが、子供の僕には少々面倒な作業だったんじゃあないかと思います。

しかし今思えば、その作業について教えている時、いや仕事全般のレクチャーをしているときの父が一番イキイキとしていたのではないかと思います。
市場についていったこともあったし、店内で遊んでいると邪魔だと怒鳴られることもありました。
けど、仕事を教えるときの父は厳しいながらも前述のようにイキイキとしていていたのです。

それをふと思い出しました。父は仕事一筋で、これといって趣味もないようでしたけど、僕の中では仕事をしている父が一番輝いていた。正に、シャイニング。

そんな印象もそうなんですが、その記憶の中で垣間見る哲学的な教えもあるのです。

細かいな~と思える作業、しかしその積み重ねていくプロセスを疎かにしようがきっちりやっていこうが、それが大きな結果となって反映していく。
父の生き方自体、地道でコツコツとしたものでしたが、それが作業一つの中にも現れていました。

晩年について、もっと話しておけば良かったと思うことも少なくはありません、しかし、父は確かに記憶の中で大切なことを教えてくれているのです。

父は非常に豊かな福耳をしておりました。その恩恵というのも、受け取れるだけの器がなくてはなりません。地道にコツコツ積み重ねて行く、小さなことも疎かにせず努力を重ねていって初めてそれを受け取ることができるのだと、父の一つ一つの思い出が、その生き様がそう教えてくれてくれているように思えます。

感謝してるよ。