RA (毎回呼び名が違うけど、うちの女将な) が寝ている間に、AVを観るのではなく(当たり前だ)、茹で小豆と白玉粉で善哉を作り込む俺。
みたらし団子作った際にはうまくいったのだが、久しぶりに白玉粉をこねるとやたら手にくっついて、いちいち苛立ってしまった。
なんか、仕事にせよ、趣味にせよ、食に関わることって苛立つ要素はあるんだけど苛立ったらいけないんじゃないかと、個人的には思っています。
だから、俺は割と料理する方なんだけど、その都度鍛えられるよね。もちろん、好きで勝手にやってることなんですよ。
適材適所、そうなんだけど、仕事終わって帰ったらご飯作ってもらってとか、それが当たり前っていう風ににしたくないんですよ。
そういうの俺は普通に思うんだけどさ、ただでさえ俺たちの世代って、男にせよ女にせよ、夫にせよ妻にせよ、親たちの世代では当たり前だった役割とそれぞれの欲求って違ってきてると思うしね。黙認しつつ、又はまったく無関心で、今も昔も普遍的なものだけ学んで先に行くでもなく、経験から表面的な形にこだわって無理してるのが今の世の在り方の一つだと思うんだけど。
無理してるって言うか、わかってんだけどああでもこうでもと試行錯誤して、新しい在り方を俺たち(世代)は模索してんのかもね。
まあそれは良いとして、あれもこれもと慌ててでも何一つ手に付かなくてもんもんとして、時間は有り余ってんのに何もできなくてっってときに、ふと甘いもんでも作ったりするんです。
今は何か勝手なリミット作って、やんなきゃやんなきゃで慌てても仕方がないかと思う。目標とか、計画とか、大事なのはわかってるけど、俺は俺で何度も挫折もしながら、100回から一つを学ぶ亀でもいいから、自分自身を模索していきたい。
ざいぜん、ぜんざい、、、