自分の望み通りになることと、愛の在り方を同一視するのは如何なものだろうか。
何でもかんでも思い通りなんて、そんなにない。結果を近づける努力はできても、コントロールすることはできない。大抵、これは仮面努力とも言うべき、頑張るといった風な建前の裏側で支配欲求が根を張っている。堅実そうな顔をして、結果を誰かに与えてもらいたい期待があって、早急に、話したければ携帯でTELをするかのように今まさにそれが叶わないならば、そいつは被害妄想となりその誰かに向けられる。
そんな便利屋、俺はいないと思ってるんだ。
きっと、叶ったという実感はリアルタイムではなく、後で気付くようなものようで、必死になって本当に自ら努力して、忘れたときにやってきたりして。
誰かに与えてもらいたい期待は、叶っても、何れそれは当たり前のように有り難みも忘れて、淡い達成感も薄れ消える。
けど、本当に自ら努力して叶えたものは一生自身の血肉となり、忘れ難い財産となる。
してもらいたいうちは、誰も期待に応えてはくれないように感じるし、努力する過程でそれほど思い通りにならないことはない。
iPhoneからの投稿