雨が降り注ぐ、木々が少しだけざわつく、一体なにを話してるんだい?
こんな天気、思い出すんだ、台風の日。ついこないだまで、ワクワクしていたのがもう何十年も前のような気がするよ。
いつからだい、天気が悪いとメンタルも悪いなんて法則に支配されて、僕たちはその対応として出来るだけ雨を避けることをするようになった。
あの日、めちゃくちゃになった傘をアスファルトに叩きつけ、壊れた電柱や屋根を見てドキドキした、逆境が好き?、否、僕たちは逆境だなんて感じちゃいなかったのさ。
危ないから親は行くなという、大丈夫大丈夫と僕らはいう、親がダメなら子供はしっかりした子に育つ、親が構いすぎたらダメな子に育つ、わかんねえよ、すれ違いによる成長のプロセス、あゝしとけばよかったとお互い考え直し、和解するのはまだ遠い。
けれど、それもプロセス、大人も子供も親兄弟も、みんな一人一人に朝が来る、それぞれの朝が来る。
持久走の憂鬱も、今朝の会議も、わかんないさ、自分じゃなきゃ。
だから子供たち、大人たちの言うことに逐一従う必要はない、お前らの人生。
だけど子供たち、そのとおりと感じたなら悔しくても素直に認めるんだ。口に出すのが照れ臭いなら、感じた事を認めるだけで良い。
笑いたくもないのに笑っている必要はない、全く、ない。
自分の感じたように、怒り、悲しみ、笑い、楽しみ、、、感じたように、ただ感じるままに。
悪い事がない事がいいことじゃない、すべてありのままに感じる事が大切なんだ。
台風一過の街、そこに転がるサムシング、壊れた傘、雨に濡れ、生まれる。
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