来月の除草作業に使うための新しい鎌を
買いに行った。

帰ってから、父親がその鎌をみて
「ギザギザになってる鎌やから、よく切れるからいいけど、上に上に刃が上がるから手を切らんように
気をつけろ。お前、使えるか?」

(いやいや(笑)お父さん、
私もう何歳だと思ってるんだ?)


思いつつ

「大丈夫だよ。今までも家もやってきたし
できるよ。どもないよ」というと

父は「草持ったらな〜こうやって」と
ゼスチャーをしてくれる。

確かに来月の草刈りは山の中なので草は生い茂っているだろう。ここらへんのかわいい草のようには
いかんだろうけど、私ももう若い娘さんではない。ずっと学校も家も一人でやってきた。

自分の身体もしんどく、中々起きてられない時もあるのに、そんな時でも
娘(ええ歳ですが)の心配してくれる事が嬉しく、有り難いな。

この父親に育てられたから
私も子供を可愛く大切に思えるんだろうなと改めて感謝しかない。

うちの母親が男の所は泊まりに行き、休みになると帰ってこなかった。父親は正反対に自分の楽しみより子供優先、何でもしてくれた。

うちのように、母親が外に男を作るのも
ブログで目にした。

結構あるんだなとびっくりする。

その理由が
「女がこれでもう終わりになるのが嫌だった」
「寂しかったから」

男女共に常套句として発言しているようだけど

うちの母親もそうだったのかな。

女扱いされると、そんなに舞い上がれるものなのか?

子供や伴侶がいてもどうしてすぐ

そっちにいくんだろうな。

いけるんだろう。


私は流すけどな。

しつこく誘われると無視をする。



母親はよくぼやいていた。

「お父さんなんて、面白くもないし

何で結婚したんやろ」

確かに真面目な人だけど

途轍もなく優しい、今でも不倫した妻が大好きで

墓も一緒に入りたいと言った。

優しいだけでダメだったのかな。



そして

そんなにいつまでも、女や男でいたいのかな。

その先何を求めているんだろう。

ここがいつも答えがでない。

子供を産まなければ、いつまでも女で

その相手は見てくれるのでしょうか?


互いに飽きたら、また次のそうやって見てくれる人を

ずっと探すのかな。


人間の三大欲の一つの強さの違いですか?