草野球物語 野球嫌いの監督が作ったチーム 1話
草野球物語 野球嫌いの監督が作ったチーム ①
学生時代僕は野球が嫌いでした。
罵倒に暴力、失敗した選手を徹底的に責める。朝から晩まで練習。汚いレギュラー取りにライバルを陥れる行為。チーム内での陰湿ないじめもあり、一番うまいショートの子がハブられていました。
野球経験のない顧問にいばり散らされ、殴られ、公私混同で引っ越しを手伝わされ、この頃はプロ野球なんて満足に見たこともなかった。雨が降るとただただ嬉しかったことを今でも覚えている。
学生時代の最上位学年の最後の試合 僕は1年間守り続けたセカンドの定位置を守っていた。
優勝候補の過去練習試合で大敗しかしたことない相ったから、これで終わりとみんな開き直って臨んだら、奇跡的に0-0の接戦を繰り広げた。
この時思ったこと。勝ちたいではなく、これに勝ってしまったら明日からの遊びの計画が全て台無し。まだあの苦痛の部活が続くのかだった。
普段はエラーをするレフトがファインプレーをしたり、弱肩の捕手が盗塁を刺したり奇跡が続いた。
試合はあっけなく投手のサヨナラ暴投で負けた。
大してみんな真面目にやってなかった癖に、何泣いてんの?というのが本音で、より一層野球と野球をする人間に冷めた。そして二度と野球なんてやらないと思ったし、観ることもなくなった。
それからは野球をやっていたことを忘れるほど遊んだ。
野球という言葉自体を忘れていたと思う。
19歳になる年に東京に出てきて、田舎もんがナンパに合コン、原宿渋谷新宿池袋・・・
麻雀、パチンコ、競馬 ギャンブル、キャバクラに明け暮れ、ただただ自堕落な毎日が過ぎて行った。
あれだけ欲しかった自由だと、遊びに女、金 当初は狂ったように遊んでいた。
20歳の時、地元のソフトボールの大会にオヤジに頼まれて出た。
やっぱ野球ってつまんねぇ そう思った(野球じゃなくてソフトだけど)
引き続き、遊ぶことだけ 遊ぶことだけ だった。仕事にやりがいも感じられず ギャンブル、女、酒 だけの自堕落な毎日を送っていた。
何か物足りねぇ このままじゃなだめだと思って、楽器を始めたり、バイクに乗り出したり、フットサルチームに入ったり、いろいろやった。
運動の後のビールは美味い だが物足りない 女にモテたい一心とこのままじゃダメだと思ってサーフィンにのめり込んだ。土曜日は毎朝3時に起きて湘南(鵠沼)に行った。日の出と共に海に入って、マックを買って海を眺めながら食う。
ようやく心の隙間が埋まってきたように感じた。充実感と生きている感は感じた。
このころ、友達と暇つぶしにテニスボールとプラスチックのバットで遊びでやる野球が何となくやっていたら面白くなってきた。
野球自体は面白競技だったんだなって思えた。
テニスボールでは物足りなくなってきた軟式ボールを投げだした。
ここで衝撃を受けた。僕は学生の頃は体も小さく、細く、肩を壊していたこともあって、塁間すら満足に投げれなかった。
だが、野球引退後から平均身長程度まで伸び、モテたい一心で行った筋トレも功を奏したのか、驚くほど球がいった。
山なりのボールしか投げれなかった少年が、一直線のボールを投げられるようになり、ミットに吸い込まれた瞬間 パチンと乾いた音がする。
少年野球しか経験のなかったキャッチボールの相棒(RRG初代♯7)がグローブから手を抜き、
「いってー!!」と顔を歪めながら、親指の付け根が真っ赤になってるのを怒りながら見せてきた。
その後もマウンドから何球投げただろう。
昔の自分では考えられなかった 真っ直ぐ糸を引き、指を離れた瞬間 ミットにおさまるボール。おさまる瞬間の乾いた音。
その音が頭から離れず、実家に電話した
「なぁ俺のグローブあるか?悪いんだけど送ってくんねぇかな。」
次回につづく
学生時代僕は野球が嫌いでした。
罵倒に暴力、失敗した選手を徹底的に責める。朝から晩まで練習。汚いレギュラー取りにライバルを陥れる行為。チーム内での陰湿ないじめもあり、一番うまいショートの子がハブられていました。
野球経験のない顧問にいばり散らされ、殴られ、公私混同で引っ越しを手伝わされ、この頃はプロ野球なんて満足に見たこともなかった。雨が降るとただただ嬉しかったことを今でも覚えている。
学生時代の最上位学年の最後の試合 僕は1年間守り続けたセカンドの定位置を守っていた。
優勝候補の過去練習試合で大敗しかしたことない相ったから、これで終わりとみんな開き直って臨んだら、奇跡的に0-0の接戦を繰り広げた。
この時思ったこと。勝ちたいではなく、これに勝ってしまったら明日からの遊びの計画が全て台無し。まだあの苦痛の部活が続くのかだった。
普段はエラーをするレフトがファインプレーをしたり、弱肩の捕手が盗塁を刺したり奇跡が続いた。
試合はあっけなく投手のサヨナラ暴投で負けた。
大してみんな真面目にやってなかった癖に、何泣いてんの?というのが本音で、より一層野球と野球をする人間に冷めた。そして二度と野球なんてやらないと思ったし、観ることもなくなった。
それからは野球をやっていたことを忘れるほど遊んだ。
野球という言葉自体を忘れていたと思う。
19歳になる年に東京に出てきて、田舎もんがナンパに合コン、原宿渋谷新宿池袋・・・
麻雀、パチンコ、競馬 ギャンブル、キャバクラに明け暮れ、ただただ自堕落な毎日が過ぎて行った。
あれだけ欲しかった自由だと、遊びに女、金 当初は狂ったように遊んでいた。
20歳の時、地元のソフトボールの大会にオヤジに頼まれて出た。
やっぱ野球ってつまんねぇ そう思った(野球じゃなくてソフトだけど)
引き続き、遊ぶことだけ 遊ぶことだけ だった。仕事にやりがいも感じられず ギャンブル、女、酒 だけの自堕落な毎日を送っていた。
何か物足りねぇ このままじゃなだめだと思って、楽器を始めたり、バイクに乗り出したり、フットサルチームに入ったり、いろいろやった。
運動の後のビールは美味い だが物足りない 女にモテたい一心とこのままじゃダメだと思ってサーフィンにのめり込んだ。土曜日は毎朝3時に起きて湘南(鵠沼)に行った。日の出と共に海に入って、マックを買って海を眺めながら食う。
ようやく心の隙間が埋まってきたように感じた。充実感と生きている感は感じた。
このころ、友達と暇つぶしにテニスボールとプラスチックのバットで遊びでやる野球が何となくやっていたら面白くなってきた。
野球自体は面白競技だったんだなって思えた。
テニスボールでは物足りなくなってきた軟式ボールを投げだした。
ここで衝撃を受けた。僕は学生の頃は体も小さく、細く、肩を壊していたこともあって、塁間すら満足に投げれなかった。
だが、野球引退後から平均身長程度まで伸び、モテたい一心で行った筋トレも功を奏したのか、驚くほど球がいった。
山なりのボールしか投げれなかった少年が、一直線のボールを投げられるようになり、ミットに吸い込まれた瞬間 パチンと乾いた音がする。
少年野球しか経験のなかったキャッチボールの相棒(RRG初代♯7)がグローブから手を抜き、
「いってー!!」と顔を歪めながら、親指の付け根が真っ赤になってるのを怒りながら見せてきた。
その後もマウンドから何球投げただろう。
昔の自分では考えられなかった 真っ直ぐ糸を引き、指を離れた瞬間 ミットにおさまるボール。おさまる瞬間の乾いた音。
その音が頭から離れず、実家に電話した
「なぁ俺のグローブあるか?悪いんだけど送ってくんねぇかな。」
次回につづく