引き続き 堺の町を散策しました


環濠都市でもある 堺の街の図が掲示されています

堀の跡です

住吉 堺周辺は古くから湊として成立していたようですが 環濠と言うか 惣堀って感じですね~
後世の 惣構えと言う形態の 進化の過程だったのでしょうか
この後 さらに 紀州街道を南下しました 堺の環濠の外へ出る形となります
中世に 二つの大きな 合戦が この地
堺にて 行なわれました
応永の乱 と 石津の戦い ですね
この後 双方のいくさに関連する 史跡を訪ねてみました

紀州街道近くの本行寺へ
(足利義満に対して)
挙兵 西国周防より 堺に上陸
決戦に挑むも 敗れし この地で最後を遂げられた 大内義弘公の戦死の地の碑ですね
先ずは 拝をさせて頂きました
大内氏って 日本の武家史の中で 大きな足跡が有ると思いますね
守護大名由来の 今川氏 武田氏
などは 著名な研究者の方が 発信されておられますが 大内氏は 事績の割に
語られる事が 幾分地味なのが 残念ですね どなたか 発信して頂ける方の 出現を 期待して居ります
さて もう一つは 1338年に 行なわれた 石津の戦い 北畠顕家卿と 共に
遥か 陸奥より 行軍 参戦された
南部師行さん 御両者の 戦死の地の碑まで
脚を伸ばして(回して)みました
·石津川に架かる 太陽橋と言う名の橋の 南詰めの これまた 紀州街道沿いに 御両者の 戦没供養塔が
建立されております
風の強い 午後でしたね
到着しました

北畠顕家卿と南部師行さんの 殉難の地の碑 武運つたなく この地にての
最期を遂げられたとの事 先ずは 拝をさせて頂き 周辺の様子を 見てみました

紆余曲折も有ったらしいのですが
長きにわたって この場所を 留め 伝え 残し 繋げた 地域の人々には
頭が下がりますね

碑の向こうには 引き続き 紀州街道が延びております

もしかしたら 紀州方面に血路を開かれるおつもりだったのか などと 想像しながら 周辺を 歩いてみました
顕家卿も 南部師行さんも 遠路からの行軍 連戦で 疲労困憊だったのでしょうね 再度 拝をさせて頂き
散策の結びとさせて頂きました


散策も無事終了です
それでは 今回のお話しはこれにて
最後まで ありがとう御座いました
