私が未だ中学生くらいだった当時、MGといえばスポーツカーの代名詞みたいな存在でした。

 特にMGBは‘64年から‘77年の13年間で約58万台を生産、その後ユーノス・ロードスターに抜かれるまでは長い間“ベストセラー・スポーツ“の座に君臨していた車種です。

 20歳で免許を取って最初に購入したのはレース専用車の“アローS1/FB用“でしたが、その後は次から次と車遍歴を重ね、現在の41台目がAudiですが、記念すべきキリ番の40台目に、まさかこのMGBになる事になるとは思っても居ませんでした。

 それと言うのも、既に生産を終了してから40年以上、まともに走れるMGBなど国内には数える程しかありません。

 中古車情報サイトに掲載されているうちの半数以上はレストア対象車で、フレームが錆でやられていたり、エンジンもフルオーバーホールが要りそうな物件です。

 しかし、実際に所有していた友人の話では『MGの部品は今でも一台丸々作れてしまうほど流通しているから心配は要らない。』と言うのです。

 確かに、この車を所有してから、あれやこれやと多くの部品を新品に交換する事が出来ました。しかも其々の部品単価は現代の外車に比べると驚くほど安いです。例えるなら国産のファミリー・カーの部品に近い。

 もしも自由に弄れるガレージと、ある程度の専門知識と工具があれば、このMGBやMGミゼットは『お金の掛からない、健全な大人の玩具』です。

 

 さて、私の買い物に話を戻しますが、何年か前から私がお世話になっている方が、新車で購入したMGBを手放したい・・・と、出来れば可愛がってくれる人に譲りたい、だから買ってもらえないか?と、お会いする度に言われていました。

 『幾らでも良いから。』とまで言われたものの、直ぐ近くにあれば見に行く事も出来るでしょうが、話と写真だけでは何とも判断出来ないので(要レストアなら50万以下、実動車なら程度によるが100万が上限か?)と心の隅で値踏みしていたのです。

 

 ガレージに大切に保管されていただけあって、既に40年以上を経た車体ですが、状態は優良です。

 しかし、ノーメンテで奈良から自走で東京まで移動するのは無謀でした。

 右フロントブレーキはディスクパッドがすり減って無くなっており、走行後30分後にディスクと裏板が焼き付き、ボンネットからボッ!と煙が・・・。

 幸いエンジントラブルは無かったので騙し騙し路側帯を走って、鈴鹿料金所脇の公団事務所前に辿り着きました。

そこからは、知り合いに頼んで手配して頂いた積載車にて厚木に移動。

 ビンテージカー・メンテナンスを専門にされている、‘70年代のFL最盛期にSRS久保の名物メカニックだった大久保明さん(大ちゃん)の運営する“プロテック・カーサービス“で、右のBKキャリパーとディスク、左右のBKホースを交換。

 取り敢えずは普通に走れる状態になりました。

 

(画像:鈴鹿料金所脇の公団事務所で一息付いているMGB)