愛の反対は憎しみでは無く無関心である。~マザーテレサの言葉より | カルラのたわごと

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~ちょこっとスピかな~

こんばんは、春希です。

 

クリスマスも終わりましたね。私は鶏肉がだめなんで

昨日はデパ地下には近寄れませんでした(~_~;)

鳥さん焼く臭いもすごいしーーーー。

クリスマスは鳥さんの受難の日ですね。

 

さて、タイトルの言葉なんですが、前からこの言葉は結

構気になっていましたが、ここ数週間頭の中をぐるぐる

回っていまして何だろうと思ってました。

直近にひどい事件や、悲しい事件などがあり新たに思

うところがありました。

ミランジェロ作の【ピエタ】です。

十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリア・・・・・。

私はこの作品が大好きで、バチカンのサンピエトロ寺院

で実際に私が写した写真です。

私はクリスチャンでは無いのですが、キリスト教に付随す

る芸術的な物には関心があります。

 

さて、マザーテレサの言葉ですが

「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」

というのは、憎しみは元々愛情というもの中から生まれた

物だから、反対にはならないのかな。愛されたいのに報わ

無いから憎むとか。

無関心というのは目の前に酷い事象を見せられても自分

と関係ない事なら、なんら感情が動かないという事ですね。

昔のなんかのドラマで登場人物が「殴られたり、怒声を

うけるよりシカト(無視)される方がつらい」て事を話して

いたシーンがありました。

暴力的な事(肯定している訳ではないです)も人がいなけ

れば出来ない事なので一種の歪んだコミュニケーション

かなと思います。

無視されるという事はそのコミュニケーションを絶たれる

という事なので自分の存在さえなくなるという危うい感覚

に陥るのかもしれません。

 

最近、自分の中の闇に取り込まれて亡くなられたり、

人を巻き込んで自身の闇を消そうとする事件がありま

した。

 

他害に走る人の事を色々と調べたりしてますと、びっ

くりするくらい家庭環境がひどい事が多いですが、だか

らといってこんな事をするのは当然許されるべきではな

いです。まっとうに生きている人もたくさんいるので。

ただ、こういう事例が起きてしまうとその内容だけに目を

むけて「ひどい事だ、ひどい奴だ、死刑だ」とかいうに眼

が行きがちですが、その背景にあるものもきちんと見て、

未然に防ぐにはどうすればいいのかというのを誰もが

もっと考えていくべきかなと思います。

いつ、自分自身や、大事な人が巻き込まれるかもしれな

いので。

それと、もっとメンタルケアに国も力を入れて欲しいです

ね。コロナ禍で実感しました。

先日、受けたセミナーでコロナ前からうつ病になった方

が2倍増えたと聞きました。

皮肉にも、その事に力を注いでいたクリニックがこんな

被害にあうとは悲しいことです。

はるき

 

P.S

.このブログ10回くらい書き直しました。もっと長文

で受け取り方によっては炎上する可能性とかも

あったんで・・・。かなりセンシティブな話なので。