んちゃ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和風かぶれなお松のパカです。

 

 

 

 

 

 

 

アコーディオンと和楽器のコラボ好きです😍







アコーディオンを用いて

和、日本、日本人の情景・心象風景を表現したり、

寄り添うことができるのか?というところにも興味があるんですよね。



(そんな腕前も余裕もないお。あちしがんばる)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて今回は

「不完全ゆえの美しさ」について

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちは完全・完璧にはなれないでしょう。

 

 

 

 

 

 

しかしながら、

完璧でないにしても、

人が生きるなかで積み上げてきたものは

目を見張るものがある。

 



なにより

よりよく在ろうとする姿は美しい。

 

 

 

 

不完全だからこそ見えてくるものがある。

自分の中の不完全さを敵とみなすのではなく、

むしろ愛でてあげてもいいのでは?という話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【日本の心なのか?】

「わびさび」という言葉があります。

 

 

さて、どういう意味でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



私は知っているようで

言葉にするとなると…よくわかりませんでした。

 

 


 

 

 

ある知人はこういう解釈をしていました。



  



 

「不完全という美しさと。

 

 

 

…京都の庭園などを思い浮かべると

なんとなくその解釈も個人的にしっくりきます。

 

 

 

 

 

 



すべてのものは移り変わる。

形のあるものいつかは崩れ朽ち果てる。

 

 

寂しくもありますが、

だからこその美しさと価値があるようにも思えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【不完全だからこそ】

こういう「わびさび」って

無常観というものを理解していないと了解不能なものと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わびさび」という言葉は

主に建造物、時たま情景に対して使われる言葉のように私は捉えていますが

 

「わびさび」というのは

人の姿勢、生き様、

人そのものに通ずるところがあるように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は完璧ではない。

完全とはいいがたい。

 

 

合理的な時もあるけど、不条理なところもある。

理屈じゃないときもある。

 



今は元気でも、次の瞬間には死んでしまうかもしれない。

 



時期や切り口によっては姿やひととなりの見え方が違うように見える。

 

めっちゃかっこいい面もあるけど、半端なくダサい時もある。

 

優しいかと思えば、ありえないぐらい冷酷で残酷なときもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

たまに

「本当に意味わかんない生き物だな」と思うこともありますが

 

 

生きている姿、何かに一生懸命になっている姿

もっと言えば、もがいている姿も

一切合切を含めて、

尊く美しいもののように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしだけかもしれないけど

 

できないことがあったとしてもできないなりに頑張ろうと姿勢も


少しでも理想に近づけるようにあくせくする姿も


くじけても起き上がろうとする姿も

ある種のかっこよさを感じます。


そういう姿にはいつも心を打たれます。

 

 

 

 

 

 

下手すると惚れます(?)ラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

うまくいかなくてイライラしている様子も

パニックになって騒ぐ姿も

かっこわるくても

全部、美しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…まあ、自分がそうなったらそうは言ってあげられないところが

私の修行不足なところと思いますが。

 

 

 

 

 

 



そもそも

不完全じゃなかったら

多分、そういう努力もしないし、

自分を成長させようなんて考えないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

不完全、至らないことがあるからこそ、

さらに高みを目指そうと思えるし、一生懸命何かができるんじゃなかろうか。

 

 

完璧であるかどうかは別として

存在していること、生きていることに価値を感じます。

・・・実に陳腐な言葉だけどね。

 

 

 

 

 

 

 

『不完全、未完成』というのはある意味

おいしいものなのではないかな?と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【まとめ】

皆様はご自身の中に『不完全さ』『未完成なところ』を感じておられるでしょうか?

 

私はいっぱいありすぎて辟易しております(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できれば

一緒にその『不完全さ』を愛でていきませんか?
自他とものさ。

 

否定するよりかは

何か見えてくるものがあるかもしれません。

 

 

 

 

 

究極的な話、

ある程度の『不完全さ』『未完成さ』あってもいいじゃない?


それが魅力になる事だってあるんでないかい?
 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上

永久に未完成のお〇さまつうらより