こんばんは、ハルです。


今日、仕事で古い農家のお家を訪ねた。


千葉のとても田舎っぽい一角。

一軒一軒の敷地が中層マンション20~30世帯なら軽く作れてしまう敷地がある。

その近隣には同じ苗字の方が大半の様で、そこの土地を管理してた地主の一族なのだろう。訪ねたのは恐らく本家だと思われる家で大きな立派だったであろう長屋門があった。


長屋門の木部分は差程朽ちてはいない様子だったが、漆喰壁は所々剥がれ落ち、入口には軽トラックと荷物が置かれ、今は門としての機能を果たしていない。


長屋門の脇道を通り母屋に向かった。庭とは言い難い手入れの行き届いていない庭の向こうに住んでいるのか分からないような昭和初期の様な平屋の日本家屋があった。


『ごめんください』と尋ねると少ししてから訝しげに、『はい、なんでしょう?』と女性が現れた。


こちらの用件を伝えた後、少々雑談になった。女性の話しぶりではここで育ち今も暮らしているらしい。


ここら一帯は昔上総と下総の国境でその農地を守る為に代々一族が国境を管理していたと話していた。


門構えからしてもそれなりの農家だったのだろう。

ただ、今は、家を見る限りではそれを感じさせない。なんとも、形容詞がたい気持ちになった。


今日は、お金を残す事、家柄を守る事、そのような事は長い年月の中では無意味になってしまう事も多いのでは無いのだろうか?と感じた日になった。


私は今も生きる目的として【子供に何か残したい】と思っている。

それは、【お金】であったり【生き様】であったり。。。

でも、今日の事を思うと、【それは本当に意味があるのだろうか?】と疑問に思ってしまったのも事実。


それでも、今の私にはそれしか無いからやるのだけど、今日の事は考えさせられる出来事だったの間違いでは無い。。。


佐藤