「ree先生!!」~☆
南相馬から避難の児童。
昨年は面倒をみていたが、今年は教室で元気に過ごしている。
「ありがとう!○○ちゃん、かわいいよ!!」というと、
満面の笑み(*^_^*)

 今年になって福島の子ども達は、地震や原発事故や放射能汚染のこともすっかり忘れたかのように、元気に過ごしている。


昨年の今頃はまだ、子ども達も哀しい質問をしていた。
「私達大人になったらガンになるの?」「赤ちゃん産めるの?」「何歳まで生きられるの?」
大丈夫だよ~と声をかけ、安心させる他なかった。
こんなに小さい小学生が、福島で原発事故が起きたばかりに、
そんなことを小さな胸一杯に考えて生きている。
やるせない思いでいっぱいだった。


そして、汚染された環境で制約された生活を送っていた。
近寄ってはいけない場所がたくさんあった。
窓を開けてはいけなかった。
風のある日や登下校中はマスクをしていた。
給食にセシウム牛がでた。牛乳を飲まない子どもが何十人もいた。
県外に自主避難、転校していく子どもが相次いだ。
毎日「お別れ会」をした。
と同時に避難区域から避難して来て転入生も何十人も増えた。
ひと学年に10人、クラスに5人も転校生がいるという状況。


そんな中、校庭を除染した。線量が下がって体育や外遊びが出来る様になった。
でも、見学・外遊びをしない子ども勿論いる。クラスに5人はいる。今もいる。
その子達の対応を考えて、職員室で自習が始まった。
校長室でも保健室でも自習の子どももいる。
体育をしない理由「放射能がいやだから」
あるとき、「いつまで体育を外でしないの?」と聞いてみた。
「放射能が無くなるまで」


事故後の2011.4月は普通に始業式や入学式が行われた。
(東京大学は新学期が遅かったのに・・・。)
福島の小中学校とも例年通りに始まった。
放射性物質が降る中、マスクをして長袖を来て小さな体で登校した子ども達。
みんな、放射性物質は気にならないのか?
酷いことをしていると思わないのか?ものすごく疑問だったが、
そんな風に思っている人はいない様に見えた。
例年通り、淡々と学校生活は動いて行った。



放課後雨の中、校門の外で、今までの様に煙草を吸っている職員がいた。
「放射能も降ってますよ。校舎の屋根の下に入らないの?怖くないの?」
「どうせずっと煙草吸ってるから・・・、放射能の害の方が低いんでしょ」
「・・・・・」
そんな風に思って生きるのが、福島人として正しい生き方で楽なのかもしれない。
でも、そんな風に、なぜかなかなか思えない。



目の前の子ども達。元気に過ごしている子ども達。

甲状腺検査も終了して結果が届いた。「A2]が43%の結果だった。
今はまだ、原発事故の影響は見えない時期。
2年3年5年・・・この子ども達はどうなるのだろう。
チェルノブイリ後は、福島と飛散した量や核種は違うが、4年後から子どもの甲状腺ガンが
増えた。10年後にまたピークがあった。
初期被曝の影響が4年後のピークに現れ、低線量被曝の影響が10年後のピークになっているのではないかという解釈もある。

福島の子ども達は、この目の前の子ども達はどうなのだろう。
浪江町などからの避難の児童は、どの程度初期被曝したのだろう。
福島市で、水汲みで並んだり、普通に外遊びをして過ごしていた多くの子ども達はどの位初期被曝をしていたのだろう。
そして、今0.6μSv/h程度の低線量被曝、慢性被曝を続けながら普通に暮らす子ども達は、どうなっていくのだろう。。。


想像はどうにでも出来る。楽観的にも、悲観的にも。
専門家は、リスクは低いと言っている。
絶対大丈夫と、言って欲しい。
低いって、どの位の子どもや人人が罹患して苦しむと考えているのだろう。
確率だから、なるかもしれないしそうでないかもしれない。
でも、避けられるリスクではないの?
避けなくてもいいリスクなの?避けても、もう今だったらさほど変わらないリスクなの?


はっきりとした、安心な答えが欲しい。
これからも、ずっとこの子ども達は被曝の影を抱いていくのか。

健康調査は、疫学調査の為か。
子どもの健康を守る検査で、早期対応するためのものでは無いのか?

健康に楽しく幸せに生きていきたいのだ。
子どもも、大人も。

とにかく、「福島は孤立している」(63%福島市市民意識調査による)

私達も生きている。
封じ込めないで。