〜3月という月 〜 あの時の福島で、そして今、未来 -10ページ目

〜3月という月 〜 あの時の福島で、そして今、未来

~もしも放射線の飛ぶ街に住むことになったら~
 福島のあの時、今、そして未来を思い、心を紡いでいきます

ももちゃんの甲状腺検査結果が届いた。
結果は[A]
ママはほっとため息をついた。

「ママ、ももちゃんはどうしてこうじょうせんの検査をするの?何かの病気なの?」

「ううん、違うのよ。ももちゃんは病気じゃなくてとっても元気だもの。
あのね、
ももちゃんが赤ちゃんの時にね、「東日本大震災と原発事故」があってね…。
ちょうど今日と同じ、もうすぐ春ですよっていう3月11日だったのよ。」

ママはあの日のことを思い出した。


今は 何にもなかったような ふくしまだけど。
ちょっと 哀しいお話もあるのよ。
ももちゃんのママも、みんなもいろいろあったけどと 頑張ってきたの
ももちゃん聴けるかな?」

「うん、ももちゃんもうすぐ小学生になるから、だからなんでもわかるもん。大丈夫!」


それなら、ももちゃんにわかるように あの時のことお話しようかな。

りーさんに聞いたお話しよ。

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3月という月  ~あの時の ふくしま~

【~2011/3/11~】


ももちゃんの住むふくしまは
緑がたくさんあって、果物も、お野菜も、空気も、水も、お魚も美味しいところ。
桃やリンゴががとてっもおいしい所でね。春には梅や桜や梅が一斉に咲いて
うつくしま ふくしま
「桃源郷」と呼ばれる位 きれいな所。


その日りーさんは、
ももちゃんももうすぐ通う 小学校でお仕事をしていたの。
学校には「保健室」ていう所があるのよ。

その日はね、2011年の3月11日でね
もうすぐ春ですよ、っていうまだ寒いけど、ぽかぽかお天気の日だったの。
お仕事は年度末だから、いろいろまとめなくちゃならなくて帳簿を書いていたの。


そしたら、14時46分頃にね…
「かたかたっ」って 
ちょっと音がしてね 小刻みな揺れがあったの
あれ?って思ったら、
お部屋のついたてが「つー」と動いたの。


次の瞬間
「ぐあたがた~がたがたがた~がたがた~がたがたがた~ミシミシミシミシ~」って

一気に大きく大きく建物が揺れ出してね。
机の引き出しがでてきたり、机の上の物が落ちたり
棚も倒れる位に揺れ出したのね。
りーさんは、「これは中にいたら危ない!」と思ってね、一階にいたからすぐに外に出たの。
そこは中庭でね、芝生の上だったけど外も電線がびゅんびゅんうなっていたわ。

もしかして、地面も割れちゃうんじゃないかと思うくらいの揺れでね、立っていられなかったから芝生に小さくなってしゃがんでいたの。

上からガラスが降ってこないかな?なんて上を見ながらね。コンクリート4階建ての建物が崩れるんじゃないかと思うくらいの、今までに経験したことのない大きな大きな揺れだったの。
屋上に着いている放送用のスピーカーが、小さくがたがた揺れていてね、それが落ちてこないかはらはらしたわ。

教室では、みんな先生の指示に従って避難訓練通りに机の下に頭を隠して潜っていたの。
でも、机ごと滑るように動いて
「キャ───(*ノдノ)───ァきゃー。゚(゚´Д`゚)゚。ウワァ─ン」という
ももちゃんみたいに小さい子どもたちの 悲鳴や鳴き声が聞こえて来たの。

りーさんは、「早く外に出た方がいいよ」と呼びに行きたかったけどね、地震の揺れが多きくて歩けない位だったの。
そして、大きな揺れは弱くなって収まったかな?と思うとまた次の揺れがどんどん来てね。

やっと少し揺れが収まって、みんな続々と教室から校庭に避難したの。
りーさんはね、大きな声で「けがをしたひとはいませんか?具合の悪い人はいませんか」と
子どもに声をかけてね。

4階の天井板が落ちてきたり、一階の水道管が破裂したり、パソコンやテレビが
落ちてきたり、本棚が倒れて来たりしたけれど
幸運な事に けが人・病人は一人もいなくて無事に校庭に避難出来たの。
ほっとしたわ。
児童が全員いるかどうか担任の先生が人数を確認したけれど、全員いて無事だったの。
よかったわ。

ところが、揺れが何度も何度も起こってね、しかもだんだん天気が悪くなってきて雪が降り始めたの。小さい子どもたちは、心細くてしくしく泣き出してね…
上着も着ないで外にでたから、寒くて寒くてぶるぶる震えていてね。
「大丈夫、だいじょうぶ」と肩をだいてなぐさめたのよ。

先生方が校舎内に戻ってね、子ども達の上着を持ってきて着せてくれていたの。
ありたけの毛布を保健室から持ってきて、泣いている子ども達何人かいっしょにくるんであげたのよ。
雪がすごくなってきたから、ブルーシートを持ってきてかけていた学年もあったの。
お家の人がむかえにくるまで、帰れないけれど、停電だし電話も繋がらなくてね。
なかなかお迎えもの大人も地震のせいで来れない人もいてね。
隣の幼稚園はわりと新しい建物だったから そこにみんなで行って待っていたのね。

最後の子どもが帰る頃には、もうあたりは真っ暗になっていたわね。

そしたらね、
家族のことがとっても心配になってきたの。
地震のあと、メールで確認して無事だってわかったけどね。
家に帰ったらどんなことになっているのかな…と思いながら
停電で信号の消えた、真っ暗な道を家へ帰ったのよ。

ももちゃん、
あら ねむっちゃったのね。

じゃあ今日のお話はここまでにするわね。

続きはまたね。

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memo

 震災は突然やってくるものだ。あんなに大きな巨大地震があんなに突然私達を襲うなんて誰も予想していなかっただろう。
 
 私達は仕事で地震や火災や不審者を想定しての「避難訓練」をし、対応についてマニュアルを作り万が一に備えている。それは大切な子どもの命を預かる仕事だからなおさらだ。
 今回の巨大地震でも、けが人・病人が一人もでなかったのはそういった危機管理体制がしっかりしていたからだろう。
 
 それに比べて、歴史的な被害をまき散らしたあの場所はいかがなものだったのだろうか。大きなエネルギーを生む必要なものだからこそ、念には念を入れて策を講じておくべきだったのではないだろうか。
 「安心安全だ」「まさか大きな災害はこないだろう」「予備があるから大丈夫だろう」「そんなこと考えたらきりがない」「莫大な費用が掛かるのに、いつおこるとも知れぬ物にお金をかけられない」などという、危機感のない空気が蔓延してはいなかったのか。

 あの時現場にいらした方は、もしかしたら強く強く後悔されているかもしれない。
 二度とおきてはいけないこと。
 天災ならまだしも人災だとしたら、こんなに沢山の長く苦しむ人々を作ってしまった罪は、非常に重いだろう。もし罪の意識を持つ者がいたとしたら、それは非常に辛いことだろう。


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memo2

 地震は初め「かたっ」と音がしたかと思うやいなや急に「がしゃがしゃ」と揺れ出した。
ちょうど会計簿を書いていた。その後その帳簿を見てみると、数字の途中まで書きかけてすぐにペンを置いた跡があり揺れ初めは、あっという間の出来事で初めから強い揺れに見舞われたことがわかる。

 それまでの穏やかな日常を、あっという間に非日常の世界に変えてしまう巨大地震。それを私達は甘く見すぎていたのかもしれない。
 震災直後しばらくは、誰もが備えをしっかりとしていただろうが、4年の月日でまだ人々の気持ちは危機感が徐々に薄れつつあるのではないだろうか。
 
 この震災の何を教訓とし、何が出来て何をすべきなのかもう一度考えて行動出来るようにしたいものだ。