ミステリー歴史小話【法隆寺若草伽藍】の「若草(わかくさ)」ってなんのこと?
2018年に訪れた法隆寺
奈良県にある法隆寺は、聖徳太子ゆかりのお寺として、
あまりにも有名なお寺です。
日本で一番初めに世界遺産として登録されました。
世界最古の木造建築物があります。
飛鳥時代の建築物と風景を、今に伝える貴重な建物群です。
飛鳥時代の人たちと、同じものを見ていると思うとロマンが溢れます(๑>◡<๑)
▶︎法隆寺境内に残された、世界最古の木造建築物はコチラの4つ
・五重塔
・金堂
・中門
・回廊
創建は二つの年代が伝えられています。
推古14年(606年)、もしくは
推古15年(607年)
▶︎推古14年(606年)と伝えるものはコチラ
・『日本書紀』
▶︎推古15年(607年)と伝えるものはコチラ
・『金堂薬師如来像光背銘』
(法隆寺金堂に安置される薬師如来像の光像裏面に記された銘文のこと)
・『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』
厩戸皇子(聖徳太子)の伝記の1つ。現存する聖徳太子伝記としては最古のもの。
「若草伽藍(わかくさがらん」ってなぁに?
法隆寺境内から発見された、寺院跡のことです。
法隆寺の境内から見つかったということは、現在立っている法隆寺よりも
古い寺院が、境内に建っていた、ということになります。
その寺院が、もともと法隆寺だったのか、そうでないのか。
それは、
【再建・非再建論争】
と言われ、明治20年ごろから50年間にわたり、
学会において繰り広げられてきた討論でした。
結果、昭和14年(1939年)石田茂作氏による
若草伽藍発掘調査により、
現在の法隆寺は、
新しく建てられたものだということが決定的となりました。
世界最古の木造建築物と言われた法隆寺の前にも、
もっと古い法隆寺があったとは驚きです。
なぜ「若草伽藍(わかくさがらん)」というのか
その寺院跡が発見された地名は「若草」ではありません。
その所在地はコチラ
生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-10(法隆寺所在地)
ではなぜ、「若草」と呼ばれるのでしょうか。
その答えは、高田良信著であるコチラの書籍にて見ることができます。
『法隆寺の謎』
『「法隆寺日記」をひらく』
『私の法隆寺案内』 高田良信
それらの解説によれば、
若草伽藍と言われる寺院跡は、
現在の法隆寺境内にある普門院、実相院が建つ場所ですが
その場所が以前は「花園」と呼ばれていました。
「花園」とは、寺院の仏花や野菜を栽培した場所のことを言います。
古代から、寺院、もしくは庵を建てる時は、
生きるために、必ず拝殿とともに温室を作っていました。
中期以降、その花園が次第に雑草の生い茂る野原となり、
そこから、若草という名称が生じたと考えられているそうです。
正式な地名ではなかったようですが、それが
若草と呼ばれるようになった謂れです。
法隆寺境内と若草伽藍の場所
その土地で寺院跡が発見されたため、
若草伽藍
そう呼ばれるようになったそうです。
覚書のひとつとして、残しておきます。
それにしても、
50年間にわたる学会での論争を
見事に納めることとなった
石田茂作氏
功績は大きいですね。
岡崎市の名誉市民でもあります。
参考
Wikipedia
若草伽藍、法隆寺
神社・寺 御朱印巡.com 法隆寺御朱印
レファレンス共同データベース
法隆寺に「若草伽藍」があるが、この若草とは何時ごろからついたのか。
『法隆寺の謎』『「法隆寺日記」をひらく』『私の法隆寺案内』 高田良信
▶︎行ってみよう❣️【法隆寺】はコチラ
▶︎行ってみよう❣️【北野廃寺】はコチラ
なんと❗️若草伽藍と同じ、四天王寺式伽藍配置を見ることができる岡崎市の史跡です‼️