【浄瑠璃姫 紫石伝説の地】三河藤原氏の痕跡を探せ!! 〜紫石伝説ミステリー〜 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

三河藤原氏の痕跡を探せ!! 〜紫石伝説ミステリー〜

 

先日の、

 

大樹寺で見つけた梵鐘が、”藤原千手丸” だったという驚きから、

 

相変わらず、三河藤原氏の痕跡を辿っています。

 

現在、

 

新聞記事リライトの方は、37話まで来ました。

 

ここから6話にかけて、

 

岡崎市の名誉市民でもある、仏教考古学の権威

 

石田茂作先生のシリーズ が始まります。

 

 

そのため、慎重に内容確認をしているので

 

ブログへのアップも、そのシリーズを飛び越えて

 

43話からアップされています。

 

 

 

その、

 

石田先生について、リブラへ資料を探しに行きました。

 

 

たまたま前日に、

 

『矢作橋のたもと』星野美著

 

を読んでいたら、

 

という、見過ごせない写真を発見!!

 

 

えええーーーー!?

 

藤原兼高長者の屋敷跡って、ほんとですか!?

 

 

 

めっちゃびっくり。

 

これって、

 

浄瑠璃姫の紫石伝説の石碑じゃないですか??

 

よーく石碑の文字を見ると、

 

紫石って書いてあるし・・・

 

 

 

それには触れずに、兼高長者と書いてあるところが面白い。

 

 

 

 

ということで、

 

場所と、文字の確認に行きたいと思っていたところでした。

 

ちょうど、リブラ(岡崎市中央図書館)へ行く途中にあります。

 

いつもとは違う道になりますが、

 

向かっている最中、急に頭によぎったため

 

急遽、紫石伝説の石碑まで向かいました。

 

 

あったあった。。。ありました

 

こんなに立派だったっけ!?

 

 

矢作東小学校からも近いし、

 

矢作神社からも近い。

 

文字はなんと書いてあるのかと確認したところ・・・

 

 

 

紫石傳説地

 

兼高長者泉水

 

昭和四十三年正月 石田茂作 書

 

 

 

 

 

えぇええ!?

 

こんなところに、石田先生のお名前が!!

 

 

 

びっくりーーー

 

とりあえず、写真を撮りまくって、

 

リブラへ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リブラにて、探していた石田先生の資料が見つかりました。

 

コピーしようと思い、内容を確認していたら、

 

若き日の石田先生のお写真を発見。

 

何かの式典の時みたい。。。

 

後に映ってる石碑は、紫石の石碑に似てるなぁ・・・・

 

と思っってよーく見たら、

 

 

 

なんと!

 

紫石伝説の石碑の除幕式でした!!

 

制作は、池上年先生!

 

 

 

へーーーー!!

 

またまたびっくり!

 

 

これって、ここへ来る途中、

 

さっき私が見てたやつじゃん!

 

 

 

 

帰宅してから、ネットでも調べてみたところ、

 

なんと、この石碑は、矢作橋親柱の脇柱を使用したものなのだそう。

 

 

その記事には、橋好きの私のお知り合いが登場していてまたびっくり。

 

 

 

詳しくは、こちらをクリック →   矢作町界隈

 

 

兼高長者のモデルは、実際に三河にて勢力を広げていた

 

三河藤原氏

 

なのですが、

 

その三河藤原氏は、源頼朝、足利尊氏へとつながる血脈であるにも関わらず、

 

三河の中世の歴史から消されているんですよね。

 

それは、「松平・徳川中心史観」と、その後の「皇国史観」によるものと

 

考えられます。

 

三河藤原氏は、三河にて権門を必要としない領地を作り上げていたと言われています。

 

それを聞くだけでも、相当な地方豪族です。

 

千手丸の梵鐘が畝部から大樹寺へ行ったように、

 

個人的な考えとしては、

 

三河藤原家の居住は、千手丸の梵鐘があった辺りだろうと

 

考えているのですが、

 

なにしろ、あれだけの豪族ですので、

 

別宅が他にあっても不思議ではありません。

 

また、

 

『浄瑠璃姫物語』

 

の舞台となった矢作に、

 

物語に関わる史跡が作られたとしても

 

これまた、不思議ではありません。

 

ただ、

 

ものすごく気になるのは

 

埋められているのが ”紫石” だということです。

 

伝承によれば、その紫石とは、

 

兼高長者の館の庭にあったもので、

 

姫の愛玩する石だったそうです。

 

姫の死を悲しんだ両親が、

 

矢作八幡宮に奉納したところ

 

それを掘り出して、持っていこうとする輩が現れた

 

その時に、石が光り輝きながら姿を現し、

 

再び地中深く潜っていったのだそうです。

 

 

紫石って、

 

単純に考えると、大きなアメジスト

 

つまり、紫水晶だったのかな、と思えるのですが、

 

その紫って、もしかすると

 

瑠璃光 を喩えているのかも・・・・

 

 

そうだとすると、

 

すごいことです・・・・

 

そうなると、

 

史跡を立派なものに作り上げることで

 

簡単には、掘り起こせないようにしたのかも・・・

 

 

なんだろう!?

 

 

紫石・・・

 

兼高長者泉水・・・・

 

 

 

謎と、ロマンに満ち溢れた日々となったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

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