残された建物から、故人の精神性を汲み取る 旧本多邸 岡崎市欠町 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

〜〜お引っ越し記事〜〜 2017年1月

 

 

旧本多邸@岡崎市欠町 岡崎歴史探求班


残された建物から、故人の精神性を汲み取る

 


東公園にある、本多邸へ行ってきました
こちらには、説明ガイドとして語り部のボランティアさんがいらっしゃるのですが
今日は、本多家の親戚筋に当たる、本多さんというガイドの方がいらっしゃるということで
そのガイドさんにお会いしたくて伺いました

 

 

 


本多さんのおじいさまが、忠次氏といとこどうし

 

 

 

こちらの本多邸の持ち主、本多忠次氏は、徳川四天王本多忠勝公の家系で
18代目である忠昭氏(ただあき)の弟さんにあたります
実際は、ご長男である忠昭氏には娘さんしかいなかったため
あととりとして養子さんをもらったそうですが
次男である忠次氏には、息子さんも娘さんもいらっしゃるそうです

お子様たちにとって、父親である忠次氏は、大変怖い存在であったようです
忠次氏がこの家を東京の世田谷に建てたときは36歳でした
そのときはまだ、独身でいらっしゃったのですが、
未来の奥様用にと、奥様専用部屋と、バルコニー、衣装部屋などを
建物の中にしっかりと造られています
しかし、ご結婚されたのはなんと70代
それからお子様をもうけられたので、ガイドの本多さんのお宅でも
大変話題になったそうです

 

 

 

こちらの建物は、スパニッシュ形式を取り入れて、忠次氏がデザインされたものです
当時は世田谷といっても、たぬきがでるような田舎であったため
広い森の中に建てられたお屋敷は、周りから見ると
とても物々しい印象があったのだとか
森の中に埋もれるように建っていたおかげで、戦争時にも関わらず
たいした被害も受けず、そのまま残ったのだそうです

 

 


外国の方にお貸しした時期もあったり、
横溝正史の映画『悪魔が来りて笛を吹く』の撮影に使われたり、
仮面ライダーの撮影に使われたり、はたまた、
成人映画の撮影にも使われた事があったそうです

 

 

本多家の家紋からは、本多家がもとは藤原家の流れを
汲んでいる事がわかるそうです

 


京都にある賀茂神社の仕事をしていたご先祖の家紋が
双葉葵
そこに、本多家のご先祖が一本足して
立ち葵

 

 

岡崎歴史探求班では、去年から「持統天皇」をひとつのテーマとして
追いかけており、そこには藤原氏の祖となる「藤原不比等」が出てくるので
ここに藤原家が登場するとなると、とても興味深いものを感じます

それにしても、
ガイドの本多さんのお話を聞いていて思うのは
忠次氏の建物にたいするこだわりの面白さと、家系を引き継ぐ人々の大変さです
 

 

岡崎歴史探求班が追っているもうひとつのテーマ「長沢松平」にしても
徳川家とは裏表というような関わりが非常に強い家系なのですが
(歴史としては表立って出てこない一族、といった意味合いが非常に強い)
本多家にしても、真田家と非常に関わりが深い一族
主である徳川家と敵対した一族と結びつきが強い、
という事実が、敵味方を超えた武士道の精神性の高さを物語るようで、非常に興味深いです

 

 

今日は、大変貴重なお話をありがとうございました