今年中に行かなくてはならないところ

ー推し武将ゆかりの場所


いつもご覧くださる皆様、

本当にありがとうございます。

心から感謝致します。

皆様にとって良い事が

たくさんありますように!

 

 

ここでの推し武将は、

 

何度も書いている

 

畠山重忠のことです。

 

 

 
 
石川修道「宗祖の母・梅菊「畠山重忠有縁説」の一考察」
(『現代宗教研究』第42号、現代宗教研究所、2008年)
このような論文を発見し、
 
もろもろ考えて、
 
供養塔関連を含めて
 
行っていない場所が
 
あったため行こうと思います。
 
日蓮上人の母である妙蓮尼(梅菊)は、
 
清原氏か畠山氏の説があるものの、
 
ここでは重忠と足立遠元の娘
 
「菊の前」の間に生まれた
 
という説をとっています。
 
つまり日蓮上人は重忠の孫。
 
その説をとった場合、
 
重忠と鎌倉北条氏は
 
元々婚姻関係もありましたが、
 
強い因縁の関係とも言えます。
 
 
菊の前の史跡は、
 
横浜市旭区に駕籠塚というものがあり、
 
二俣川での重忠の死を聞いた
 
菊の前が自害し、
 
駕籠ごと埋められたという
 
ものでお墓です。
 
ただ、私は重忠というと、
 
やはり「さかさ矢竹」の
 
話の方が重さを感じます。
 
 
というか、
 
岩手県にある史跡の方で
 
行っておきたい
 
史跡があります。
 
ここに書いておきます。
 
・浄法寺城跡(かなりの部分は畑)

 

畠山神社

〒028-8405 

岩手県下閉伊郡田野畑村浜岩泉

 

重忠が義経討伐に向かう際に

 

馬が脚を怪我したために

 

鐙を埋めたのがはじまりでした。

 

今は田野畑村の民俗資料館に

 

展示されています。

 

 

あとは岩手方面では、
 
別件で九戸城跡と
 
大釜氏の八幡館跡ですね。
 
それで、
 
まずは関東地区をメモしておきます。
 
・大六天神社
〒357-0063 埼玉県飯能市飯能320−6
・高福寺
〒355-0325 埼玉県比企郡小川町上古寺872
このお寺の裏の山頂に重忠の墓と称する
お堂があります。
お寺自体は彼の伯父または
大伯父厳耀にゆかりがあります。
・慈光寺
〒355-0364
埼玉県比企郡ときがわ町西平386

お寺自体は彼の伯父または大伯父厳耀にゆかりがあり、
重忠の三男重慶(じゅうけい)や、末子の円耀(えんよう)
も別当を勤めたお寺です。彼の念持仏である十一面観音像があり、
彼の等身大(約180㎝)にあわせて作られたという説があります。
頼朝の祈願寺でした。

 

 
 
・真光寺
〒355-0344 
埼玉県比企郡ときがわ町日影1001
重忠が開基であると言われています。
 
・東光禅寺
・武蔵御嶽神社

〒198-0175 東京都青梅市御岳山176

重忠が奉納した赤絲縅鎧などが展示されています。

騎馬に乗った重忠の像もあります。

・即清寺
〒198-0064 東京都青梅市柚木町1丁目4-1

重忠が開基となったお寺です。

お寺の名前は、

彼の法名である「勇讃即清大禅定門」から

つけられました。

 

 

とりあえずお寺・神社関係を

 

メモしましたが、

 

重忠は信心深い人で

 

京都に行った際には

 

法然上人に教えを受けたとも

 

言われています。

 

やはりパーフェクトすぎて

 

まぶしすぎた存在だったのかとも

 

思います。

 

もろもろの事情で

 

できれば供養関係は

 

私が生きているうちに

 

行きたいと思っています。

 

 

このことが

どなたかのお役にたちますように!

この世に本当の偶然はありません。

全ては必要だから起こっています。

ご縁がなければ出会えないように

なっています。

そういうあなたとご縁があったからこそ、

本日、

このブログで出会うことができました。

ここまでご覧くださり、

本当にありがとうございました。

皆様にとって良き日、

良き時間でありますように!

合掌