鎌倉時代とリンクしていること

-近畿地方のオーロラ

 

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先日、近畿地方でオーロラが


見えたとニュースになりました。


 

 

兵庫でもオーロラ撮影 

 

専門家「本州で観測されたなかで最も西側」

 

 

「太陽表面で大規模な爆発現象

 

「太陽フレア」が発生したのを受け、

 

オーロラが世界各地で確認されている。

 

兵庫県香美町でも11日夜、

 

オーロラとみられる現象が撮影された。

 

国立極地研究所(東京)の

 

片岡龍峰准教授=宇宙空間物理学=は

 

「今回、本州で観測された

 

オーロラの中では最も西側とみられる」と話す。

 

撮影したのは神戸市西区出身で、

 

香美町地域おこし協力隊の高橋昇吾さん(25)。

 

これまで町の写真や動画をSNSに投稿し、

 

魅力を発信する活動をしてきた。

 

海岸の展望台から肉眼で沖の空が

 

かすかに赤く染まっているのが見え、

 

露光を長くして撮影。

 

「星空に、ピンク色の帯が写り、

 

オーロラに違いない」と思い、

 

町観光商工課のSNSに画像を投稿した。

 

反響は大きく、

 

高橋さんは「今回の投稿を機に、

 

多くの方に香美町を知ってもらえたらうれしい」

 

と声を弾ませた。(森直由)」

 
ですが、
 
ここまで西でなくても京都も
 
オーロラが見えたことがあると
 
思い出しました。
 
『百人一首』や『源氏物語』の定家本
 
の生みの親で
 
鎌倉時代に活躍した
 
貴族・歌人の
 
藤原定家がオーロラを見ています。
 
彼は自分の日記『明月記』
 
に書いています。
 
 
国立極地研究所の
 
片岡龍峰先生の
 
『日本に現れた日本のオーロラ  
「赤気」と呼ばれた日本のオーロラを読み解く』
(化学同人、2020年)
 
に詳しく、
 
現代語訳等を引用しますと
 
このような感じです。
 
 
建仁4年正月19日(1204年2月21日)

(原文)
秉燭以後、北并艮方有赤気、其根ハ如月出方、色白明、其筋遙引、
如焼亡遠光、白色四五所、赤筋三四筋、非雲、非雲間星宿歟、
光聊不陰之中、如此白光、赤光相交、奇而尚可奇、可恐々々

(現代語訳)
「日が暮れてから北および
北東の方向に赤気が出た。
 
その赤気の根元のほうは月が出たような形で、
色は白く明るかった。
 
その筋は遠くに続き、
遠くの火事の光のようだった。

白いところが五箇所あり、赤い筋が三、四筋。
それは雲ではなく、雲間の星座でもないようだ。
 
光が少しも陰ることのないままに、
このような白色と赤色が入り混じっているのは
不思議なうえにも不思議なことだ。
 
恐るべきことである」。
 
そして、23日の現代語訳は、
 
「日が暮れてから、
北、北東の方向にふたたび赤気が現れた。
 
それは山の向こうに起きた火事のようだった。
 
重ね重ねとても恐ろしい」
 
でした。
 
他の記事にはこのようなことも

書かれています。
 
「『明月記』には、

1204年2月21日と23日、

京都でオーロラが見えたとの記述があります。

これは1週間のうちに何晩も、

京都のような緯度の低い地域で

オーロラが観測された

「長引く赤いオーロラ」の記録としては、

これまでに調査されている中では

日本で最古のものです。」
実は鎌倉時代が

最もオーロラが見えた時代とも言います。

もっと昔の方が見えたような気がしますが、

記事を引用します。

オーロラが最も見えやすかったのは
「鎌倉時代」…
藤原定家「明月記」にある「赤い光」と合致
 
「オーロラが現れる地域
 
(オーロラ帯過去3000年間の

変化を解析したところ、
 
日本から最も見えやすかったの
 
鎌倉時代の1200年頃だったと
 
国立極地研究所などのチームが発表した
 
当時の歌人・

藤原定家が日記「明月記」に残した
 
「赤い光」の目撃時期と合致するという。
 
研究結果が国際科学誌に掲載された。

オーロラは、太陽から噴き出した粒子が、
 
地磁気に沿って地球に降り注ぐ際に

大気が発光する現象。
 
極域周辺に出現しやすいが、
 
太陽活動が活発になると

まれに北海道などでも観測される。
 
地磁気は時代によって変動し、
 
オーロラ帯の位置もずれ動いてきた。

チームの片岡 龍峰

同研究所准教授(宇宙空間物理学)らは、
 
世界各地の地層に残留する

地磁気のデータなどを基に、
 
オーロラ帯の3000年分の変化を計算し、
 
コンピューターで再現。
 
オーロラを記したとされる文献と照合した。

明月記には、1204年2月の2日間、
 
京都の夜空に「 赤気せっき 」
 
(空の赤い光)が現れ、
 
「山の向こうの火事のようだった」

という趣旨の記述がある。」
 
 
これは別の視点から見ると興味深いです。

たしかにオーロラは
 
『日本書紀』にも出てきたと
 
言われていますが、
 
今は風の時代と言われ、
 
鎌倉時代もエレメントの移動はあれど、
 
風の時代でした。
 

定家がオーロラを見たのも

 

エレメントが風の時でして、

 

1206年に風から地へうつっています。


エレメント移動の直前です。

 

以前調べましたが、


鎌倉時代というのは、


エレメントが移る前後に

 

ほぼほぼ何か大事件が起こるのが

 

お約束のようで、

 

将軍の代替わりも結構これに

 

かぶっています。


ある意味では教科書的。

 

 

ちなみに
 
このオーロラ関係の
 
異文野融合研究は
 
片岡先生から

直接お話をうかがったことがあるため
 
感慨深いものです。
 
古典文学の中の気象に関する
 
情報を広くデータバングのように
 
募集していた時は、
 
私は『平治物語』に出てくる
 
「白虹貫日」を出しました。
 
今でいう日暈です。
 
スピリチュアル系では
 
縁起がよいとも言われますが、
 
中国では
 
これは戦乱の予兆とされ、
 
昔はあまり縁起がよい
 
解釈をされませんでした。
 
天気が崩れる前、
 
地震が起こる前に
 
あらわれることもあります。
 

しかし、

 

こういうもろもろの

 

ことをつなげて考えると、

 

良きにつけあしきにつけ、

 

「天で起こることは地でも起こる」は

 

真実だろうと思えてしまいます。

 

オーロラはたしかに綺麗ですが、

 

普段見えないところで見えるのは

 

やはり何かがあるからで、

 

オーロラは、


ディズニーのオーロラ姫くらいで

 

とめておいた方がよいのかも

 

しれません。

 

 

 

この世に本当の偶然はありません。

全ては必要だから起こっています。

ご縁がなければ出会えないように

なっています。

そういうあなたとご縁があったからこそ、

本日、

このブログで出会うことができました。

ここまでご覧くださり、

本当にありがとうございました。

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