「自己」の保ち方の難しさ

―祝福の水路・サレンダー

と過去生の影響

 


いつもご覧くださる皆様、

本当にありがとうございます。

心から感謝致します。

皆様にとって良い事が

たくさんありますように!

 

 

昔、読んだ東洋系の占術本に

 

星の動きで最後の部分が

 

「財」の星で終わる方が

 

着地点がしっかりつけられる

 

という記述がありました。

 

この着地点をしっかりつける

 

という考えは、

 

きわめてこの世的な考えで

 

あると思うことが多くなりました。

 

まあ、実際は上の世界で課題を設定し、

 

この世に来てその課題を達成し、

 

魂の成長をめざすために

 

日々のことに取り組むので、

 

着地点がない人はいないのですが、

 

それでも

 

着地点をしっかり定められる人の方が

 

グランディングが強いことになり

 

この世的には成功するのでしょう。

 

ただし、一方では

 

あまりきちんと決めすぎず

 

諸神仏様や宇宙のような

 

超自然的存在にサレンダーして、

 

エドガーケイシー先生や

 

背後にあるキリスト教的考えで

 

祝福の水路であることを

 

最優先で生きるという

 

方がよいという考えもあります。

 

そういった超自然的なものの

 

存在は

 

もはや人間を超えたところに

 

あるからであり、

 

そういった存在の意図も

 

あって生まれてきていると

 

するならば、

 

もうその大元にゆだねることが

 

課題の解決に

 

つながるのだとも

 

とれます。

 

 

全員ではないですが、

 

やはり今生では

 

託宣系や透視系の霊能者

 

に多いのではないかと

 

思います。

 

 

自分の先天運と宗教関係が

 

多い過去生をみると

 

納得ですが、

 

がっちり着地点を決めると×に

 

なることが多いです。

 

これは悲しいですが今もそうであり、

 

現実を見つつも

 

宇宙や超自然的な領域が

 

入り込む余白を作る生き方を

 

するようにしています。

 

つまり、

 

現実に動きつつも

 

現実のみ見ることはしないという

 

ことです。

 

 

 

 

 

20代、それこそ介護がはじまるまでは

 

思い通りにはいかないことが

 

ほとんどであったものの、

 

それでも結構がっちりとした

 

着地点を決めて、

 

逆走型思考で動いていました。

 

つまり、

 

この結果を導くには

 

どうすればよいのか

 

ということを逆算で

 

考えていくという方法です。

 

 

 

 

しかし、

 

介護と別の家族の看病、

 

そして自身の病気が重なりつつ、

 

関係が難しい家族を最優先に

 

するには、

 

自己を捨てなくてはいかず、

 

自分は後回しにせざるを

 

えませんでした。

 

そうなったときに

 

最も障害になるのは

 

「これをしたいからそのために

 

これをする」という

 

がっちりとした計画と

 

思考です。

 

当然、そのとおりには

 

できないのがほとんどであり、

 

そこを通せば

 

周囲と軋轢を生みます。

 

最も難しいのが

 

人間関係であり、

 

船頭多くして山へのぼることを

 

避けるには、

 

自分は最も後ろにいて、

 

目上であっても全体を見渡せ

 

ないといけません。

 

あくまで自分は最後で大きく

 

構えるということです。

 

むしろ1番泥まみれになります。

 

ただそれが続くと

 

いつしか過去生の影響と思われる

 

自己卑下や自己犠牲と

 

つながり、

 

またそれがネガティブなループを

 

生みます。

 

かといって、

 

自分を通せば×ですしと

 

なるわけです。

 

強行突破が良い時と

 

サレンダーが良い時と

 

その塩梅が難しいものです。

 

 

この頃、自分のビジョンや

 

キャリアという

 

サレンダー・祝福の水路とは

 

全く180度対極に

 

あるものを聞かれることが

 

多く、

 

ずいぶんとこの世的に傾いて

 

いるなと思うため、

 

書いておきました。

 

自分の中での現状の結論は

 

このようなすみわけです。

 

 

最も外側にあるもの:

祝福の水路となる

(自分の課題の達成、社会や他者の幸福へ還元する)

 

大きな方向性:

自由意思や心に従う(この世の人間として生きる)

 

そこにいくまでの細かい道:

現実にできることはしつつもサレンダー

(ここが真ん中で、天地両方を尊重する)

 

もはや物理的に不可能、奇跡の領域

(徹底的にサレンダー)

 

もちろん正しい答えはないのですが、

 

キリスト教的な答え方をすれば、

 

永井隆博士の言葉にある

 

「人事を尽くしつつ神に祈りなさい」

 

という言葉ではないかと

 

思います。

 

この現実と精神の塩梅は

 

難しいのですが、

 

現実面を重視する環境に

 

いるため、

 

よくこのようなことを思います。