獄苦代受という菩薩行

 

いつもご覧くださる皆様、

本当にありがとうございます。
  
心から感謝致します。

皆様にとって良い事が
 
たくさんありますように!
 

まず、

 

東日本大震災で犠牲となられた方へ

 

ご冥福をお祈り致します。

 

獄苦代受という言葉があります。

 

本来の意味は、

 

仏様や菩薩様が

 

生きとし生けるものたちの

 

地獄のような苦しみを代わりに

 

受けてくださることで、

 

菩薩行の1つです。

 

宗教を超えますが、

 

信仰という面からみれば、

 

イエス=キリスト(イエズス様)が

 

人間の罪を背負って人間の身代わりになって

 

処刑されたのも、

 

この概念にどこかつながるかもしれません。

 

 

今日は東日本大震災から9年です。

 

この日が来ると、私は瀬戸内寂聴さんが

 

NHKに寄せた「代受苦」の話を思い出します。

 

「代受苦」は「獄苦代受」と同じ意味です。

 

犠牲になった方の中には

 

宗教者以外の方も

 

たくさんいらっしゃったと思います。

 

本来は仏様や菩薩様レベルの事を

 

仏道修行をしていない人が、

 

多くの人の苦しみを身に受けると

 

いうことを代わりに行うのです。

 

スピリチュアル的な考えでは、

 

もう生まれてくる段階で決まっていた課題なのでしょうが、

 

課題に良し悪しはないとはいえ、

 

あまたの人のために苦しみを背負うとは

 

並大抵の人にはクリアできない課題です。

 

 

寂聴さんのお話

 

以下、「」内に引用します。

 

「今回の震災では、

 

多くの人が亡くなりました。 

 

突然の津波で大切なご家族を亡くした方は

 

さぞかし無念で、

 

神も仏もないと思っていることでしょう。 

 

仏教には

 

「代受苦(だいじゅく)」という言葉があります。


人が受ける苦しみを他人が代わりに

 

受けて苦しむという意味です。

 

この「代受苦」は、

 

誰もができることではなく、

 

選ばれた人だけができるたいへん尊いことです。

 

だから、大切な人を亡くしたことを虚しいとは

 

決して思わないでください。


自分が津波の犠牲になるかもしれなかったのに、

 

大切な人が身代わりになってくれた、


そのように亡くなった人に

 

ずっと感謝して祈り続けなければいけない、

 

それが亡くなった人のためにもなるし、


亡くなった人の死がいきてくることになります。

 

亡くなった人のことを忘れないことが

 

一番の供養になります。


お墓を作るのも

 

残された者が死者を忘れないため。

 

お参りに行くのは

 

そこに家族がいると感じることで、

 

忘れないためです。


生き残った人たちは

 

ちゃんと生きなければなりません。


死なないでしっかり生き、

 

ご家族の冥福を祈るということが

 

一番亡くなった人のためになります。


亡くなった人の魂は愛する人のそばに

 

来ると言われています。


忘れないという思いを示し続ければ、

 

亡くなった人の魂は

 

きっとその思いを感じとってくれるはずです。


(平成25年5月5日・談)」

https://www.nhk.or.jp/kokorophoto/yosete/001.html

 

 

生きている私たちにできる事は

 

限られるのかもしれませんが、

 

とにかく震災の教訓を生かし、

 

こういった災害があった事を忘れずにいる

 

という事が大切だと思います。

 

この日本、いや地球上にいるかぎり、

 

何らかの災害からは逃げる事ができません。

 

それが自然の中で1つの生物として

 

生きることなのかもしれません。

 

世界的にみても、

 

こういった

 

自然災害が多くなる時期になった

 

という学者もいるようです。

 

そういった時代に

 

この世界にやってきたのは、

 

私たちにとっての

 

課題なのかもしれませんね。

 

このことが

 

どなたかのお役にたちますように!

この世に本当の偶然はありません。

全ては必要だから起こっています。

ご縁がなければ出会えないように

なっています。

そういうあなたとご縁があったからこそ、

本日、このブログで出会うことができました。

ここまでご覧くださり、

本当にありがとうございました。

皆様にとって良き日、

良き時間でありますように!

合掌

 

ありがとうございました。