好きな武将の話~畠山重忠編①
家系をまとめてみた/重忠はMr.パーフェクト
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たくさんありますように!
Twitterのプロフィールにも書いてありますが、
私が好きな武将というか、
広い意味で「源平」に
ひっかかれば、
まるっと大好きです。
よく、
「ローザさんは源氏と平家
どちらが好きですか?」
と聞かれますが、
どちらも好きですよ。
だから「源平箱推し」なのです。
広い意味で清和源氏系というと、
だいたい源義家・義光・武田氏・
佐竹氏
ばかりを あげますが、
桓武平氏系では鎌倉北条氏と
畠山重忠です。
写真は埼玉県深谷市にある
畠山重忠公史跡公園内にある、
重忠が愛馬をおんぶ
(馬おんぶの像)する像です。
重忠は私の中では、
バランスのとれた
カリスマ性がある優等生タイプ
というイメージでいます。
「Mr.パーフェクト」
人前で姿勢を崩してもよい時であっても
姿勢を崩さないくらいに
律儀な人だったようです。
文武両道で容姿もよく、
音楽にも長けていたようです。
よくある平家の武将では
平忠度に近いのかなと思いました。
ただ、
忠度の容姿はよくわかっていないので、
ここはおいておきます。
個人的な事で、
論文を書くわけではないのに、
おととしからこの一族について
集中的に調べていますが、
いや謎が多い一族ですよ。
そもそも、大人の事情で
平姓→源姓にかわる
(実際は秩父氏が元ですので、
平氏系の血筋も残っているようですが)
事からして、複雑です。
ものすごくざっくり書くと、
こういう事みたいです。
〈源姓〉
・金吾家(きんごけ)
→新田義貞の息子義興に祟られた
(後で没落)国清など
(※国清は足利基氏と共に
義興を殺害しようとし、
結果的に送り込んだ江戸遠江守が義興を謀殺
→義興が祟ったので祀る
→新田神社へ
(東京都大田区矢口一丁目21-23)
→畠山氏の子孫が来ると雨が降り、
狛犬がうなるという伝承がある)
→管領家(政長やみんな大好き義就とか)
A 金吾家から分かれる(総州)
→義就が河内国へ行く
→尚誠が足利義昭(最後の将軍)を擁立する。
その後は消息不明。
B 金吾家から分かれる(尾州)
→政長の父持富が初代。
→江戸幕府の旗本として生き残る。
・能登
→途中で米沢藩主の三男が
養子に入る系統もある。
→江戸幕府の高家として生き残る。
→畠山記念館
(よくお茶器の展示をする所で、
寸松庵色紙を持っている)の創設者である
一清氏(即翁)などが出る。
荏原製作所・うずまきポンプ
・奥州(本来の嫡流)☆☆
→高国が観応の擾乱で自害。
→義純が伊達政宗の父輝宗と共に死ぬ。
その先は二本松氏や国人へ。
結構、岩手県にいるらしい。
※鎌倉時代の段階で日向国や
薩摩国へ行った人たちもいるらしい。
〈平姓〉
・重忠の後裔をなのる人々が、岩手県へ行き、
浄法寺氏等になったとされる。
・江戸氏や男衾氏などなど。
(『男衾三郎絵詞』)
重忠を祀る神社も発見しました。
岩手県田野畑村浜岩泉237 |
にあります。
重忠が乗っていた馬の鐙を埋めたらしいです。
浄法寺氏にちなむ浄法寺塗
https://kougeihin.jp/craft/0503/
色々な事情があり、
重忠は北条氏に滅ぼされてしまいますが、
心情的な意味では脅威に思ってしまう
要素がある人とも言えます。
何でももっているタイプですからね。
私が北条氏ならば、
むしろ重忠的な人は自分の近くにおいておき、
彼のカリスマ性を人寄せパンダ的に
利用するのになと思います。
みんながついていく人ならば、
言いにくい事ややりにくい事は
彼に代弁・代行してもらう
という手もあります。
そして律儀な性格である事を
利用できれば、
こちらが厚遇すれば
簡単に牙をむかないでしょうし。
今さら言っても仕方がないのですが。
この世に本当の偶然はありません。
全ては必要だから起こっています。
ご縁がなければ出会えないように
なっています。
そういうあなたとご縁があったからこそ、
本日、
このブログで出会うことができました。
ここまでご覧くださり、
本当にありがとうございました。
皆様にとって良き日、
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合掌
ありがとうございました。