遅くなりましたが豊洲PITありがとうございました。

自分が生きてきた中で間違いなくあの景色は財産になりました。

そこから足を止めることもなく制作に突入し

またかっこいい作品が出来ました。

そんな目まぐるしい中で最近、振り返ることが増えました。


来る日も来る日もライブをやって

47都道府県も4回やって

海外ツアーも何度もやった。

この目で沢山のモノを見て

感じてきた。



何をきっかけなのか分からないけど

突然ライブやインストに来なくなって

しまった子や

逆にこの衰退していく音楽の世界で

Royzを知ってくれて

共感して共に泣いたり笑ってくれる子

僕たちを残してこの世を去ってしまった仲間


そして自分自身も全てを捨てて死のうと思った瞬間


普通に生きていけば経験出来ないような

沢山の出会いと別れや

喜怒哀楽を超えた感情に左右された

そんな10年でした。





逆に、もう普通の刺激だと生きてるという実感することも難しくなってきました。

熱くなれば熱くなるほど周りは離れていくし

間違いを1つでも犯すと

SNSや掲示板等で炎上だったり

自分という人間自体をゴミのように

に扱われてしまう現代。

自分は一体ミュージシャンとして

何を表現していけばいいのか分からなくなる日々も少なくなかったです。


約10年、メンバーと1年間の半分以上を共にし

気がつけば友達から仕事仲間のような存在に変わっていました。

もちろん一緒にいて楽しいし、世の中で誰を1番愛してる?って聞かれるなら迷わずメンバーと今でも答える。

けど顔を合わせると音楽の話をしないといけない、音を出さないといけない、そんな縛られた感情の中で呼吸が上手く出来なくなってきたことも事実です。

お金や時間、スタッフが大きく動いていくに連れて責任感に押しつぶされそうになる日も少なくありませんでした。

そしてそれを忘れるために飲めないお酒を飲み、少しでも現実から逃げようとしてた時もあります。

自分が生きていく上で豊洲PITはゴールではありません。

Royzをここから先進めていくためには

もうすぐ始まるIAM WHAT IAMのツアーが

この前の47都道府県ツアーよりも重要だと感じてます。

豊洲PITで沢山の人が足を運んでくれて

そこがピークならその程度のバンドなんだと思います。

あの日のライブを見に来てくれた人たちを

次のステージへ全員連れていけてこそ

理想のバンド像ですし

11周年へ向かう大きな架け橋です。

バンドというのは残酷な世界だと思う。

時々「Royzって解散するんですか?」と

聞かれることがあるけど

それはうちに限らずどこのバンドも

常に抱えてる問題です。

メンバーの方向性やお金

病気や事故、突然の出来事

出したらキリがありませんが

その中で恵まれた環境があるから

うちは未だにバンド活動が出来ています。

その中で何を残せていけのか、日々悩むのです。


こう深々とブログを書くと多少の心配や憶測を生みそうですが

1つ勘違いしてほしくないのは

俺は全てに対して、愛してるってことです。

昴、杙凪、智也はもちろん

ファンも。

事務所も。

綺麗事かも知れませんが

全てと人が笑ってくれるなら

この身を削っても守っていく。

だからRoyzの歴史の中で次のツアーは1番強い気持ちで挑みますし


音楽で飯を食ってる以上


プロでいないといけない、とか

メンバーは仕事仲間だと思わないとけない、とか

そんな誰かが言った勝手なルールは

全て取っ払って

10年前、ホリデー大阪というライブハウスで

音をただ楽しんでいたあの頃の時間を

4人で取り戻したいってそう思います。


また全国回って

来年の1/12のZEPPで

豊洲PITを超える素敵な景色をこの目で見れることを信じて。

長いブログ、読んでくれてありがとう。