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私は2024年5月8日に、前立腺がんで、PSAは「132」、「精嚢と膀胱へ浸潤」でTNM分類が「T4NOMO」、ステージ「3」、グリソンスコアが10(満点)とわかりました。5月8日からホルモン療法(内分泌療法)を、「リュープリン」(LH-RHアゴニスト薬)とビカルタミドで開始し、11月8日より放射線治療(IMRT)で20回60グレイで12月6日に終了。2025年1月10日に直腸を放射線から守るハイドロゲルスペーサーが直腸に孔(あな)を開け(原因不明)、ストーマ造設となる。2025年10月28日にストーマ閉鎖手術を受けました。
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2026年6月25日、退院後228日目です。明日には、台風が通るようです。
今日は朝から、サッカーワールドカップの日本対スウエーデンを見て、ひやひやしました。あまり心臓に良くない試合でした。
朝からのホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは変わらずです。モヤモヤ感(これがうまく表現できません)も同じです。うーん・・・
今日は、黒柳朝さんのチョッちゃんの「バアバよ大志をいだけ」という本読み終えました。なんと1992年4月の再編集版だそうで、2023年4月発行です。たまたまブックオフで見つけました。
初版はもう34年前に書かれたものです。黒柳朝さん、黒柳徹子さんのお母さんです。1910年(明治43年)生まれ、徹子さんが1933年生まれなのです。徹子さんは今年93歳なのにはびっくりです。私の母は1931年生まれで、徹子さんより2歳年上で、一昨年2024年に亡くなりましたが・・
朝さんは、私の母方の祖母と同じくらいですね。
この本を読んで、この人のユニークな生き方に感心しました。医者の家に生まれ、音楽学校でご主人と知り合い、そして結婚。ご主人はバイオリニストでした。
戦前にご主人は招集で中国へ、そしてシベリア抑留で何と5年間の抑留の後に無事に帰国されているのですね。これにはびっくりでした。
私はそもそも裕福なご家庭と思っていましたが、とてもそんなふうではないのです。大変な苦労をされていることを知りました。
戦争中の青森への疎開のことも書かれています。もののない中での子育てのことや、戦後、ご主人が無事帰国されてから何と47歳で男の子が生まれたことも、ユーモアを交えて書かれています。普通は書きにくい「夫婦のご関係?」のこともです
朝さんは、70歳を過ぎてから徹子さんの影響もあったのでしょうね、本を初めて書かれたそうです。英語も勉強されました。それで講演では世界中から呼ばれて行かれている様子もよくわかりました。
少し引用します。
<本を書いたこと>
・・私は70歳を過ぎてから本を書くようになったのですが、もともと家事や子育ての合間に、思いついたことをちょこちょことメモしておくのが好きでした。・・パパの悪口とかも 自分だけわかるように暗号で書いておくのです。夫婦間の喧嘩のことも「昨日は大火事、今日はボヤ」とか・・・そうしたら面白くて、書いているうちに、腹のたったのを忘れることもありました。(P.249)
・・ところで、私の家は毎日ボヤですが・・・
<音楽家の年金のこと>
日本の年金制度がいかに音楽家と画家にとって薄いものかを講演で話すたびに、やんやのかっさいをいただき、パパの仇をこんなかたちでとっているって感じることがあります。が、そのハングリーがなかったら、それまで専業主婦で何もしたことのなかった私が、本を書いたり、講演をしたりはとても出来なかったでしょう。(P.229)
これ以外にも、面白いなと思ったことはいっぱいありました。古い本ですが、まだまだ参考になると思います。読後に調べたら、黒柳朝さんは、95歳まで生きられた由。長命です。
今日は、この台風の中、夕方から大阪で友人との飲み会があります。ドタキャンしようか、無理していこうかまだ迷っています。私ひとり、遠いのです・・
(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは続いています。もはや「いつ何があってもおかしくない」と腹を括るべき歳なのかもしれませんね。でもお腹にはパウチ(袋)もなくて、何でも食べれます。これだけでもどんなに幸運なことか毎日確認しています。

