最近危惧してるのがこれです。
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アーティストが売れて行くのを危惧しているんじゃない。それはむしろ喜ばしいことです。嫌なのは、自分が傲慢なファンになってしまわないかという点です。

メジャーとは違い、いくらか身近な存在であるということも手伝って、「絶対的にそうではない」という考えも頭の隅にはあるのに、自分の特別な仲間というように錯覚しているフシがあるというか……正直、線引きに戸惑うことも何度かあったり。

困っているなら助けたいし、楽しいことなら共有したい。
「大事な仲間である」と自分が認識した人たちに対しては、僕は今までもそうであったし、これからもそうなんだと思う。

でもそれが、ただの自己満足になっていないか。その人たちの迷惑になっていないか。むしろ、自分は去った方が良いのではないか。
そんなことも思う。

もともと出遅れているので、「そのアドバンテージを埋めたい、追いつき追い越したい」という想いは少なからずありますが、その過程で関係性が悪化してしまうのは本意ではありません。

できることなら、走り続けているところをいつまでも見ていたいし、応援していたい。それが関係者席からなのか、観客席からなのかの違い?

んー……
関係者席に入りたいとか、そういうのとはまた違うのかも知れないけど、より深く知るには同じ道に片足突っ込んでみなきゃダメなのかな?なんてことも考える。

ただ、自分にもボヤっとではあるけど、やりたいことはあるので、おいそれと同じ道を進むことはできないし、仮に片足突っ込むようなことがあったとしても、そちらが本筋になってはいけない。

今ふと、もののけ姫のアシタカの台詞を思い出した。

「サンは森で。私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。」

会いたくなったら森まで会いに行く。そんな感じ。

できることなら森の中、森の近くに居たいけど、タタラ場を放置しておく訳にはいかない。そちらにも待っている人は居るし、まだ見ぬ多くの人々に微力ながらも幸せな時間を提供して行きたいと思う。

「来て良かった。また来たい」
そう思ってもらえるような結果を出すということに限っては、どんな業種業態でも同じことなのだろうなと。ベクトルの向かう先は違っていたとしても、正の方向に向いていることに相違はないはず。
そう考えると、共に生きるっていうのは、何も同じ道を進むことだけに止まらないのかなとも思える。

だから今は、会いたい時、会える時にだけ会いに行ければそれで良い。それがこちらの都合によるものだとしても、今はそうすることしかできないし、それが最善なのだと信じて。

神保町で仕事ご一緒していた田中姉さんですが。
新しいお仕事決まったようで良きかな良きかな。

え?土日休み?! いいなぁー。

聞いて驚いたのは、僕らが秘密基地で作っているカップケーキや食材を出荷している飲食店が、田中姉さんの職場と同じ場所にあるということ。

今度卸し先の店に行ってみるかなー。

あ、田中さんの職場には一般人は入れないぽいです。

ちょと残念。



マイミクさんがそろそろ誕生日で、何かプレゼントをしたいけど、何が良いか最近悩んでおります。

なんか作るかな。