街頭募金には基本的に賛成というか、自分も呼び掛ける側をやったことあるので、活動自体に悪く思うことはありません。

しかし、私服で呼び掛けている団体の募金箱や、お店のレジ脇等に置いてある募金箱には、手を伸ばしにくくなったりしてしまいます。

ちょっと信じるに足る何かが感じられない場合は、申し訳ないけど、スルー。
募金活動には賛成なので、本当は、募金したいけど。


「手が届くのに手を伸ばさなかったら、死ぬほど後悔する…それが嫌だから手を伸ばすんだ。それだけ。」
仮面ライダー オーズ、火野映司の言葉。

【義を見てせざるは勇なきなり】
困っているなら助けたい。
手が届くなら伸ばしたい。
家族が、友達が、見知らぬ誰かが困っているなら助けたい。
可能な限り手をとりたい。

でも、TVニュースやら何やらから見聞きする情報で、義援金や支援物資などがまともに届かないケースがあると二十歳頃に知ってから、少し考えるようになってしまいました。

そうする内に、学校制服を着ている人たち、ボーイ・ガールスカウト、自分が信じている人・媒体、などを通してしか、募金するようにならなくなったような、そうでもないような。


「募金してたつもりが、悪い人に使われちゃってたり酷いときは内戦の資金になってたり。それで思ったんですよね。人が人を助けていいのは、自分の手が、直接届くところまでなんじゃないかって。俺はこんぐらい(両腕を広げて)。まぁ、届かないことはありますけど」
これも、オーズ映司の言葉。

募金活動に関しては、上記のようなスタンスです。
ボーイスカウトが呼び掛けていたら、募金しに行って、三指敬礼して去ります。

いつも絶対ではありません。すべてはフォローできっこないと僕も思っていますし。ですが、拾える範囲、届く範囲内なら、手を伸ばしたいし、伸ばすべきなのだと思うのです。

ただそれは、僕だけがイキって伸ばしてもしょうがなかったり、ただの自己犠牲の精神でしかないようにも思うようになりました。
オーズ最終回を見てそう思いました。

映司は自分の夢や希望を押し殺してまで人助けに遁走し、自分がグリードという怪人になってしまったとしてもそれをまっとうしようとした。

でもそれにストップをかけてくれたのは、ずっと憎まれ口を叩きながら一緒に戦ってきたアンクであり、また、映司が守ってきた仲間たちでした。
(最終回の空中落下シーン、朝から号泣して見てた)
手を伸ばしていたのは自分(映司)だけではなく、今まで気付いていなかっただけで、みんなが、みんなに、手を伸ばしているんだよ、っていう。

それに気付けたのは幸せだ。

オーズ最終回の頃はちょっと色々あって、なんか自分も映司みたいに周りが見えずに動いていたと思います。いや、していました。否定しません。そしてそれらに反省もしました。

でも、後悔だけはしていません。しないように生きたい。ただ、もし間違っていたと気づけば謝りたいと常々思っていますし、そのつもりです。


「ああ… 握手って温かいものなんだな」って思えた事がつい最近、2度ほど。

その人はもちろん、それ以外の人が困っている時も、僕は可能な限り手を伸ばして行きたいと思っていますが、これまた前述の通り、範囲は限られてしまう。物理的理由などで助けに行けないとか、色々な要因があるでしょう。
それを免罪符にはしたくないけど、そういう時はちょっと周りを見てみれば、けっこうみんな手を伸ばしてくれているものだったりするんで、その手を掴んじゃって良いと思います。


仮面ライダー フォーゼは「もしかしたら、オーズに対するアンサー作品なのかも知れない」と最近思うようになりました。
ほら、弦ちゃん、ダチになると握手するし、絶対裏切らないし。

まあ、映司が最終回までできなかった事をホイホイこなしてしまっているのは複雑ですが、長く時間のかかる人と、短時間で実のある関係・絆を構築できる人が居るんでしょうね。
映司は前者。弦太朗は後者。
僕も前者かな?不器用だから(苦笑)

そして僕も、もうすぐ1つの節目を迎えます。
まだまだ人生、学ばなくてはいけないことだらけっす。

頑張ろう。


さぁ、腕を伸ばし、掴んで、スイッチオン!