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くにちゃん日記

ブログ名変えました。

究極の愛そのものである、くにちゃんが、愛そのものを思い出し生きる日記にしていきたいです。

昨日は何度か目が覚め、そして眠りにつくたびに、同じような夢を数回みました。

全く同じ環境ではないけれど、内容はほぼ同じでした。 

それは誰かのお祝いのパーティーに参加するのですが、とても大きなパーティーで、僕は高校生くらいの年齢で、同じグループの人達とダンスをするのです。

しかし、その当日まで僕ははそのパーティーの事、ダンスの事は知りませんでした。

急に聞かされて、スーツを準備し、控室のような所にいきます。

そしたら、ホワイトのタキシードがいるのだと言われます。

そんな事は聞いてなかったので愕然とします。

仕方ないので僕はワイシャツで参加する事にしますが、ここでダンスの事を知らされます。

え?なんで僕だけ今日になって色々聞かされてるんだ?
同じグループなのに。

そしてパーティーが始まり、なんの振り付けもわかってない僕はとても悲しい思いになります。

なんかひとりぽっちだ。

そして目が覚める。

小学高学年、中学、高校に連なる段階で、色々あり友達と呼べる人がいなかった痛みが現れてきたのか?と思いました。

それだけ孤独だった。それを現すような夢を1日に数回みて、最後に目が覚めた時は、どよ〜んが最高潮?

きっと見ないふりしてたから出てきたんだね。
悪い事として見ないようにしてたんだね。

ただ見つめる事をやっていると、中々会う事はできないけど、大人になってから知り合った友達を数人感じる事ができた。

孤独ではない事も認識できた。

そしてこれからもっと友達を増やしていこうと思ったのでした。


人は何故なら、なぜ、という言葉をつけたがる。

かく言う僕もそのひとり。

理由付けが欲しいからなんだよね。

安心するんだよね、たぶん。
わかったような気がするから。

このやり方は有効な時もあるんだ。

肯定的に捉える練習をする時は役に立つ。

けれど、否定的な人がやろうとすると、途端に嘘ついてるように感じたり、無理やり感が否めなくなる。

いっそ理由付けをなくしてしまった方がすっとはいるかもしれない。

ただそうあるだけ。

起こってしまった事が好ましくなくても、何故だ、どうしてだと悩むより。
そう言う事が起きただけ。

そう思えるようになれば、重たい波動になったり、引きずらなくてすむんじゃないか?

その事実だけを受け入れる。
感じる。

やがてその思いも流れていく。

なんでもやっぱり使い分けが大事なんだな。

柔軟さは必要なんだね何事にも(^_^)

以前の日記の時に分類する為にジャンルをたくさん作ったもののうまく使えてない。

ジャンルいらないかも。


人はただ生きてるだけで良いのかもしれない。
というか良い。

僕は愛を拡める事を決めて生まれてきた。これはわかった。

けど、実は拡めなくても良い。

それは自由なんだ。 

いまの自分の拡められてない現状を勝手に判断して意識を下げる事や重い波動になったりしてる。

そこに大きな価値を置いて、出来てない自分がダメ。だから愛せないってなってる。
愛そのものなのに。

これは優劣、良い悪いの価値判断。

やりたければやれば良い。

ただそれだけで、僕の自我が思ってる優劣をつける価値はないんだ。

ただ純粋にあるだけ。

人はただ生きるだけで、それだけでも良いのかもしれない。
何をしてもしなくても、優劣のない存在としての価値があるのではないか?

それがわかったら、自然に何かが出来るようにもなる。自然体でただやるだけになる。

生きている。それだけで全員が価値ある存在なんだ。