1.17 正午の神戸港に汽笛をお届けします・・・

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・・・ 今朝10時に『ぱしふぃっく びいなす』が震災から18年の神戸港に向かって汽笛を発し入港したそうです。 そして中突堤周辺には定期修理中の『コンチェルト』と『オーシャン プリンス』を除いてはいつもの小型観光船が皆揃って停泊していました。 いつもより少し寂しい神戸港ですが、ボクは高浜岸壁のフェリー乗り場可動橋取り壊し工事の騒音を避け、中突堤中央客船ターミナルの東の端の芝の上で録音をすることにしました。 いつもならカップル達の多いスポットですが、この日はすずめたちのカップル以外誰もいませんでした。 通行する人も少なく、韓国からの観光客の団体がたまに通り過ぎたぐらいです。 ここを選んだのは小さな観光船の汽笛も入れたかったからなんです。 『ルミナス神戸2』や『ぱしふぃっく びいなす』の音声でそれら小型観光船の汽笛までかき消されてしまっては、これでは一斉吹鳴でなくなるのではと思ったのです。 結局は取り越し苦労だったでしょうけど、しかしいい音でした。
            http://sky.geocities.jp/saki_ship/kobe_port_city/kobe-otofukei/20130117-1.17whistle01.mp3
正午に長い汽笛の一斉吹鳴が発せられ、すぐに後進で出港するルミナス神戸2の合図の汽笛、短声三声が雀たちの喧騒の中発砲されます。
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 船の航海のように安全に行きましょう。
 神戸ウエルカム・ポイントの会の『旗振りおじさん』こと我妻さん

1・17阪神淡路大震災が発生してもう18年が経ちます。
1・17というのは単なる震災発生という記録の一日に過ぎません。
実際我々大阪に住むものにも恐怖の激しい振動、激しい揺れの身についた記憶から未だに覚めることはありません。

阪神、淡路に住む方々にはそれ以外にも建物の倒壊、火事、食料難、厳冬・・・などなどの苦しみや悲しみ、恐怖は続いていらっしゃるわけで、恐らく終わりというものが無いのじゃないかと推測するのです。
その後も人と人とのかかわりで住む所が決まらないなど憤りのない沢山の苦しみを乗り越えてこられました。
あるいはまだその最中かもしれませんね。
今もまだ住む所が決まらなかったり、仕事がなかったり、コミニュティに溶け込めなくなったりする震災難民の方がいらっしゃると聞きますもの。

東北の3・11大津波や震災に遭われた方も一緒だと思います。

ボクは震災前日まで三宮の古いビルの中で働いておりました。
従業員はボクを除いては全員神戸市内や明石市から通勤していました。
震災当日と翌々日にかけて電話で安否確認しましたら幸に全員無事でしたがご身内のおばあちゃんがなくなったと連絡を受けました。
私個人は大阪市内ですから被害はありませんでしたが母方の叔母が東灘区の森南町に住んでいて何軒か貸家を持っていました。
ほとんど倒壊もしくは火災にあい、自身も焼け出され残った貸家に数日間泊めてもらったとのこと。
西宮の叔母の家は山の手で小さいながらもしっかりしていて大丈夫だったのですが水が出ないのと物資が手に入らないので父や兄達が北側の山越えの道から運んだそうです。

ボクの会社の本社は長田区にありましたがビルが3日後に倒壊してしまいました。
急遽大阪市北区南森町に事務所を引っ越すことになり大阪在住の者の中から自転車部隊が派遣されました。
まだビルが傾いている中、重要な書類や商品をなんとか持ち出したのでした。
ボクはこのとき既に病気が発見され、参加するメンバーから外されていました。
親戚の家への物資の運搬も身内に気遣われて何もさせてもらうことが出来なかったのです。

そんな中で船の趣味で神戸港を走り回っているボクも不謹慎なのすが一年に1回だけでも犠牲になられた方々に手を合わさせてください。

                   合掌