航海練習船には以前進徳丸と北斗丸という船の名がありました。
今回は進徳丸の画像をお届けします。
初代進徳丸(2,600総トン)は戦前1923年(大正13年)12月に神戸高等商船学校の練習帆船として建造されました。
因みに、東京高等商船学校には初代大成丸という帆船がありました。
型式はまったく別物で、大成丸は初代日本丸海王丸のモデルになった船です。
進徳丸は前檣は横帆、後檣3本は縦帆の4檣 バーケンチン型という美しい帆船でした。
以前読んだ本の記憶によれば神戸の造船所にて建造されたそうです。
マストが高すぎてシドニーのハーバーブリッジをくぐれず入港できなかったと聞いています。
戦時中にはそのマストを撤去し徴用されました。
石炭や物資を運搬したそうです。
戦後は航海訓練所の練習汽船として復活ました。
そして、昭和42年に引退、神戸商船大学の敷地内に保管されていました。
私が初めて見たときはずっと後の昭和50年代でした。
当時、フェリー乗り場は東神戸フェリーターミナルとして西から魚崎、青木(おおぎ)深江などのりばが3つありましたが撮影当時この付近にフェリーを見に来ていました。
その時なんだか怪しげな船があると写真に収めていたものです。
しかしながら、阪神淡路大震災のさい壊滅的な損傷を受け解体されてしまいました。
初代進徳丸の帆船時代の資料が不明で今回載せていませんが見つかり次第UPします。

2代目進徳丸(総トン数3,000総トン)は1962年12月に航海訓練所の練習汽船として建造されました。
1983年引退していますがその後のことは不明です
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                 進徳丸メモリアルからお借りしました。
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     帆走する初代進徳丸
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汽船となって練習船として復活した初代進徳丸
画像はいずれも毎日新聞社1980年発刊の「別冊一億人の昭和史"昭和船舶史"~幕末から現代まで100年の航跡~」からお借りしました。
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     神戸商船大校庭に保存されていた初代進徳丸。
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     進徳丸2世、後方は青雲丸(5800総トン)
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     青雲丸と進徳丸2世。
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神戸三菱造船所で改装工事中の進徳丸2世