私の子育ては、私の幼少期の頃の体験が基盤となっている。
私の両親は、私が幼くして離婚、父方に引き取られた。
と言うか、父が大好きだったので、父と一緒に暮らしたい、と、まだ年長の時かな…自ら選んだわけだけど。
酷な幼少期だった。

両親の叩き合いの喧嘩、罵倒。
布団を被って、恐怖と不安に怯えていた。
愛情が複雑に絡み合えば、こんなにも人間はドロドロになるのだなと、幼いながらも涙した。

なので、実母の温かみも分からず、母とはこうあるべき、というのもないし、憧れの母親像とかもない。
自分が結婚する、というイメージも持てなかった人間だったし。

そんな私の子育ては、あの時こうしてもらいたかったな…という気持ちを、娘に投影している。

これが苦手だった…この本があったら、もっと好きになってたかな…とか。
教育、学習…。

父は、勉強にはとにかく厳しかった。
ただ、理屈は後から、とにかく勉強しろ!だった。
とてもとても辛くて、でもやらないといけなくて。
中学の時、部活で疲れ果てて夕飯途中で寝てしまっていた。
父が仕事から帰ると、怒号がとんだ。
勉強を聞いて理解が悪いと、顔を平手で叩かれて鼻血が止まらなくなった事もあった。
父は必死がゆえに、頭に血がのぼりやすい。

振り返ってみると、感謝はしているが、もっと寄り添ってもらいたかったな…と言う気持ちがあるのも事実。
心に寄り添う事が出来るのは、やはり女性なのではないかなと思う。
特定はしないけれど、得意なのは女性だろう。
 
娘には、こういう想いはさせたくない、母として心に寄り添って見守っていく…そんな想いで、日々子育てに励んでいる。

幼少期の記憶が、私の子育ての原動力なのかもしれない。

もちろん、娘は大切な存在。

娘の存在があるからこそ、私の人生は救われたのかもしれない。

学ぶ喜び、その先にある人生の選択肢を増やしてあげたい。

自分に出来る事を精一杯伝える。
母として、私はそれしか出来ないかな…。



父は、女性は不利なんだ、と言う。
父の周りには、不幸な女性が多かったと話す。
浮気、暴力…それでも、経済的に自立するのが難しかった父の時代は、絶えて結婚生活を続けるしかなかったと。

だから、私に必死に勉強の必要性を叩き込んだのだと思う。


私達夫婦は、役割を担って子育てをしている。
だから、娘には、私が側にいて、余裕ある学習スタイルを築きあげてあげたい。
心に寄り添ってあげたい。